2008年01月31日

初めての予算要望、に思う

1月も、今日で終わり。早い早い。

午前、わが会派の予算要望書を加戸知事に提出した。
正式には、平成20年度当初予算編成に関する要望書、である。

まだ議員経験が1年も満たない私にとっては、
年に1回しか行なわれない行事はすべて初体験であり、今回もそうであった。

会派の笹岡・豊田両先輩とともに応接室に通され、ご挨拶を行なった後、
知事とともに居並ぶ県幹部職員各位を前に、私の方から要望書を読み上げさせて頂いた。

この要望書のもつ意味は大きいぞ、重たいぞ、
と頭の中でグルグル考えながら、20分間一気にしゃべりつづけると、のどが、カラカラになった。

はたして、それは、県民の皆様の声を細大漏らさず、きちんと網羅できているだろうか。
また、庶民を代表する会派としての視点に、明確に立脚できているだろうか。

この間、個々で考え、また、会派として議論を重ねてきた集大成でもある私たちの要望書は、
行政カテゴリ全般にわたり232項目、内、重点52項目という内容となった。

朝から、各会派順で立て続けに要望を受けられる加戸知事も、少々お疲れのご様子だったが、
ぜひとも実現に向けた前向きの検討をお願いしたいと思う。

さて、初めての私の所感はというと。
なるほど、年度当初予算はこのような手続きを経て成立していくものか、ということである。

そして、手続きは、踏んだ。
で、次の瞬間、思ったのは、その後は?ということである。

各会派から預かった膨大な要望を、今度は理事者側にて検討を行い、
それを次の2月議会に来年度予算案として上程するのである。

が、はて?
この3週間くらいの短期間で、そういった検討がはたして可能なのだろうか。

あれかこれか、を強いられる究極の財政難の中で。
前例踏襲も部局権益も乗り越え、優先順位をつけ取捨選択をしながら。

会派を通じた県民の皆様のご要望が最大化されるような経営資源・財源の配分が、
はたして本当に可能なのだろうか。

その議論は、すさまじいバトルになることは容易に推察できるのである。
そんなふうに考えると、なんだか予定調和の感がしなくもない。

であればどうすれば、ということを考えなければならないし、
それは、おそらく県民本意の、抜本的な議会改革の話につながってもこよう。

まだ駆け出しの身ではあるが、その視点を決して忘れることなく持ちながら、
今、目の前に直面する1つ1つのことをしっかり受けとめてまいりたい、と思う。
  
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2008年01月30日

足下を掘れ、そこに泉あり、を思う

午後、高知市で開催された、中小企業基盤整備機構(略称:中小機構)四国支部主催の
「地域資源活用フォーラムin高知」に参加した。
(ご参照URL⇒ http://www.smrj.go.jp/chiikishigen/jimukyoku/shikoku/033082.html )

地域活性化特別委員会に所属する私にとって、
いくつもの触発と感動、そして、ある種の確信を得た、実に貴重なひとときとなった。

フォーラムは、㈱玄 代表取締役の政所利子氏による基調講演から始まった。
テーマは、「四国ブランド活性化戦略」。


濃密に、感動した。
おそらく今。

国民・県民の皆様が、あるいは生活者が、最も聞きたいのは、こういう話なんだ、
つまり、私たちにもできる、という希望とか予感、そんな気持ちにさせる講演であった。

へき地から限界集落まで、いわゆる田舎と呼ばれる、地方の私たちには、ナイ、がいっぱいある。
お金がナイ、仕事がナイ、学校がナイ、病院がナイ。

そのナイナイづくしの中で、最大の課題は、人材がいないこと、と巷間いわれるが、
そうではない、と政所氏はキッパリ否定する。

人材はいる、ただ、活躍の場がないだけだ、と。

もちろん、その場は与えられるものではない。
かつて全盛時代の公共事業や補助金事業という幻想は、完全に捨てなければならないであろう。

与えられるのではなく、自分たちで創っていく。
そのことが時代の要請であり、地域活性化の前提なのだ。

そして、その活性化の本質は。
地域固有の資源を地域住民が主体となって掘り起こし、地域外から魅力ある経営資源に転換させること、と氏はいう。

完全に、同意するし、そのことは機会あるごとに私も訴えてきた。
今後さらに呼びかけを強めながら、1つでも2つでもカタチあるものにしていきたい、と強く思うのである。

土壇場から元気になった事例は、全国にこんなにもあるのか、と釘付けで講演を拝聴する中で、
高知県津野町のエピソードが出てきた。

廃校を利用した農村交流施設「森の巣箱」という取組みだ。
どうやって、と思うほど全国からお客様が訪ねてくるのだそうだ。
(ご参照URL⇒ http://www.town.kochi-tsuno.lg.jp/kanko_manabu.html )

あっという間の興味が尽きない基調講演に続いて行なわれたのは、パネルディスカッション。

「素材とマーケットの出会い」と題して、私の元上司である三井文博氏のコーディネートにより、
基調講演の政所氏と、観光カリスマ百選に選ばれた、知る人ぞ知る3氏(下記参照)で行なわれた。

そのうちの1人は、わが愛媛・旧双海町が生んだ、あの若松進一さんである。
お約束どおり、会場は、爆笑の渦、である。心からの感動とともに。

その観光カリスマ3氏の成功事例に共通するものは、何だったか。

それは、今ここにあるもの、つまり地域固有の素材に、新たな価値と解釈を与え、
小さな共感の輪を身近から地道に広げながら、新たなマーケットを拓いてきたということであったろう。

地域活性化は、新たなマーケットづくり。

地域資源の活用による、従来でも既存でもない、新たなマーケットは何か、考え続けたいし、
今日得た、心に広がる感動と希望を、県下の1人でも多くの方に広げていきたい、と思った。

帰り道、高知自動車道のトンネルをいくつも抜けながら。
足下を掘れ、そこに泉あり、との先哲の言がふと浮かんだ。

(写真:左から、
中小機構四国地域支援事務局GM・ADK四国支社長 三井文博氏、
http://www.smrj.go.jp/shikoku/index.html〉〈http://www.adk.jp/index_ja.html
㈱玄 代表取締役 政所 利子氏、
http://www.kouryu.or.jp/hitodukuri/iinprofeel/Profeel_mandokoro.htm
農事組合法人伊賀の里モクモク手づくりファーム 専務理事 吉田 修氏、
http://www.moku-moku.com/
夕日のミュージアム名誉館長 若松進一氏、
http://yuuhi.jp/
馬路村農協代表理事組合長・馬路村観光協会長 東谷望史氏
http://www.yuzu.or.jp/〉)
  
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2008年01月29日

格差社会は、分断社会

県民相談、種々。
心が重たくなるときも、ある。

最近読んだ潮2月号の記事もまた、重たいテーマであった。
タイトルは、格差社会が生んだ“影”。

ベストセラー「下流社会」の著者でマーケティング・プランナーの、
三浦展(みうらあつし)氏による寄稿記事である。

もはや否定できない、事実としての日本の格差社会は、なぜ生まれたか。
彼は、アメリカ型のネオリベラリズムを受け入れたことを主因に挙げる。

それによって、新たな階層集団が出現し、その現象を、彼は、下流社会と名づけた。
が、所得が低い人々が増えた、という下層社会を指しているのではないらしい。

下流社会と名づけ、彼が提起したものは。

あくせく働いて年収500万円を稼ぐより、300万円でもいいから楽に人生を送りたい。
そんな価値観をもつ人、総じて人生への意欲が低い人、が増えてきた現象であった。

そういえば、と気づかされる。

同著が上梓されたのは2005年だが、その少し前、失われた10年の間に、
私の回りでもこうした価値観が広がりつつあるな、ということは感じていた。

さすが、若者の価値観研究を続けてきた、元アクロス編集長である。

話しを戻すと、その下流社会、あるいは生じた格差社会について。
問題は、労使あるいは正社員・非正社員の分断による日本人としての一体感の弱体にある、と。

たとえば。
フリーターを怠け者と思う正社員と、つまらない仕事を正社員はよく我慢してやってるな、と思うフリーター。

本当は、同じ時代の中を互いに苦しんでいるという共感を持つべきなのに、そこに接点がないという現実。
その通り、と思う。

そこここに大きな溝を生む格差社会は、換言すると、分断社会といえそうだ。
正規雇用と非正規雇用、都会と地方、高齢世代と現役世代、そして、政治と庶民。

不満とか、不信とか、対立という、この溝を、どのように埋めていくか。

そして、その溝は。
どのような共感を成立させるかという、他でもない政治課題である、と痛感する。

マーケティングが事実と仮説から出発するならば、
生活者が直面する様々な困難の事実から、政治はどのような仮説を立てるか問われていよう。

今日も、自身の宿題の重さと大きさを思うばかりであった。
  
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2008年01月28日

あっちでもこっちでも勉強、の1日

ベリー・ハードな、1日。
朝、県民相談をお受けしながら、バタバタと高松へ出発。

お昼、束の間ではあったが、古巣の広告会社へご挨拶に立ち寄る。
居合わせたのは数人であったが、一様に驚かれたようで。

次回は、ゆっくりと。

と思うが、この間もなかなか時間が許さず、その日はいつになるだろう、
と、後ろ髪を引かれながら、約10分で辞去する。


13:00、公明党香川県本部にて道路特定財源に関する勉強会が開催された。
連日、報道のない日はない、今、国民が最も注目する政治課題、についてである。

国土交通省四国地方整備局・祢屋局長様ご一同様、各県当局関係各位には、
大変お忙しい中をご参集頂き、レクチャを賜り心より御礼申し上げたい。

わが方も、山本ひろし参議院議員を中心に、各県所属議員が意欲的に集い合った。

そして。

そもそも道路特定財源は四国にとってどのような意味を持つのか、
暫定税率を廃止すると具体的にどのような影響が出るのか、ということを学んだ。

約2時間の中身を、端的にいうなら。

四国の道路行政にとって特定財源は、必要条件であり、
暫定税率廃止が各県民の皆様に与える影響は、確実にして多大なるしわ寄せ、となろう。

そして、この問題とは別に。
原油高騰に対するあらゆる手立てを、早急に講じなければならない、ということになろう。

党も、私も、そのように考えるのだが、その立て分けを非常に難しくさせているのは、不信である。
生活者が持つ、政治不信、である。

国が、あるいは行政が行なってきた、今までのムダや不正に対する生活者の疑念は、とてつもなく大きい。

現場を歩きながら、あるいは草の根対話を進める中で、心と肌で、感じる部分である。
廃止できない理屈はわかるが、本当にムダはないのか、ということを多くの生活者は感じているのだ。

という思いを、私は質疑の中で訴えさせて頂いた。

本質の議論の前に横たわる、生活者の不信を。
政治は、1枚1枚薄皮をはぐように、信頼に変えていかねばならない。


そのために公明党が果たすべきこと、私が果たすべきことを、常に問いながら、
今回の問題も、それ以外の問題も、勇気を持って取り組んでまいりたい、と思う。

勉強会終了後、急ぎ足で松山へ移動。
松山自動車道では、四国中央市あたりから雪が舞い始め、桜三里あたりでは吹雪となった。

通行止めになる一歩手前で、無事、松山到着。
18:00からの会合に何とか間に合い、ホッとしながら。

多士済々のその会合は、またしても政治の奥深さを学ぶ、私にとっての勉強会となった。
その後の、同期議員による会合もまた、大変考えるところ大、大いに学ばせて頂いたのである。

あっちでもこっちでも勉強、の1日は、22:00にて終了となった。

(写真は、会合でご一緒させて頂いた、地元西予市出身、西前頭五枚目・玉春日関との記念撮影。)
  
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2008年01月27日

綴り忘れてはいけない、母校のこと

今日は、日曜日。
ということで、事務仕事に没頭した。

今週は、視察・行事などが多く、久しぶりのデスクワークである。
賑やかな机上に、1週間といえどもじっとしていない、時の流れを感じる。

さて。

県外視察・行事などで忙しく、大事なことを綴り忘れていた。
わが母校・今治西高校が、2年連続、春のセンバツ出場を決めたのである。

おめでとー!と、声を大にして。
バンザーイ!と、さらに声を大にして。

選手諸君、越智校長先生はじめ学校関係各位・ご父兄各位・OB各位、
そしてすべての関係者の皆様に、心からの祝福を申し上げたいと思う。

これで、4季連続、春夏通算20度目の甲子園出場となった。
新たな歴史の通過点とはいえ、大きな大きな金字塔である。嬉しい。


早速、加戸知事からは、「本県の高校野球史に残る快挙、しまなみ旋風を!」と讃えられ、
野本県教育長からは、「校歌を何度も、愛媛を元気に!」との祝福と期待が寄せられた。

が、私たちOBも、負けてはいない。

今年の正月に、久しぶりに同窓会で旧交を温めたばかりとあって、
それぞれのブログがえらいことになっている。いや、盛り上がっている。

交流の輪が各地で、ヨコにもタテにも、いろんなカタチで広がっているようで、なんだかとっても嬉しいし、
こちらのほうも、えーっと思う方々が、先輩だよん、とわかったりするなど最近は、なんだか嬉しい続きなのである。

というふうに。
何だか嬉しい気分にさせてもらえるのも、母校のおかげである。

聞くところによると、今回出場される選手は甲子園2世が多いようだ。
ずばり、お父様が甲子園を沸かせた、そのご子息たちである。

私の同級生の息子さんや甥っこさんもいたりして、想像しただけで、今から応援に力が入るのである。

その第80回センバツ高校野球の開幕は、3月22日。
母校の、後輩たちの活躍を、全国のOBの皆様とともに心から祈りたい。

そして、私ごとで力が入るといえば、次の2月議会。
自身、初の代表質問である。

新年行事による忙殺で残された期間は超タイトだが、
母校で培った集中力で万全の準備を期してまいりたい。

この間、県民の皆様の手となって足となって動きながら、見て聞いて感じた、
皆様の声と思いを全力で代弁してまいりたい、と思う。

(写真は、1/3に開催された同窓会でのご挨拶風景。)
  
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2008年01月26日

1年前と、今日と、これから

正午、市内のホテルにて、
公明党愛媛県本部2008政経文化パーティが開催された。

地元から加戸知事をはじめ、国会議員、各地方議会議員及び首長ほか多数のご来臨を賜り、
わが党本部からは、神崎武法常任顧問が石田衆院議員・山本参院議員とともに出席した。

立すいの余地もないほどの盛況に、ご参集各位への感謝の気持ちが込み上げてきた。

思えば、1年前。
本パーティに、私は、統一地方選の予定候補として出席した。

連日のハードスケジュールに体がついていけず、高熱フラフラ状態で参加したことを思い出す。
健康の自己管理が厳しく求められる政治家の過酷さを、まだ知らなかった。

が、朦朧としながらも、太田代表の入魂空前のスピーチだけは、今も鮮烈だ。
ハッキリと、あの瞬間が、議員としての自身の原点なのである。
(ご参照URL⇒ http://homare.i-yoblog.com/e19503.html )

政治家は、何を言ったか、ではなく、何をやったか、が問われなければならない。
政治家の生命線は、パフォーマンスにあるのではなく、成し遂げた事実と成果にのみあるのだ、と。

結果を出してこそ政治家、との圧巻のスピーチに、新たな使命に対する挑戦を、心に誓った。
あれから、1年が経過したことになる。

私は、何を成し遂げたであろう、と考えると、なんとも覚束ないが、
県民の皆様から頂く1つ1つの課題に、ともかく無我夢中で体当たりの1年であった。

あっという間のようで、実は、長い長い1年だったような気がする。

さて。

席上、神崎常任顧問から、ねじれ国会における公明党の実績を1つづつ紹介しながら、
公明党が与野党合意形成のかなめ役となって、生活者直結の政治を必ず実現していく、
との力強いスピーチがあった。

ここで、考えよ、である。

その、生活者直結、をどのようにカタチにしていくか。
これは党としての問題であるとともに、極めて議員個々の問題でもあるのだ。

県民の皆様お1人お1人と直結するとは、どういうことなのか。
何をどれだけ、皆様と地域社会に対する成果としてもたらすことができるのか。

その日々の具体化が、議員の仕事であることを忘れまい、と思った。

ほぼ終日にわたりパーティの準備・運営に当たりながら、生活者直結、の電話は後を立たない。
たった電話1本だが、信じて託す思いの、勇気の1本、もある。

1年前も、今日も、そしてこれからも。

ある時は、生活者の辛みと苦しみを、胸をえぐられるように、
またある時は、その前進と解決を、飛び上がらんばかりに。

常にわが事として敏感に感じられる自身に成長を、と思う。

(写真は、万歳のご発声を頂く横田弘之愛媛県議会議長。)
  
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2008年01月25日

障がい者スポーツの振興、を思う

午前、来年度予算要望の会派打合せ。
午後、松前町の企業訪問を行なう。

そして夕方。
山本ひろし参議院議員・雲峰松山市議に同行頂き、市内在住の広瀬さん宅をご訪問した。

先日、雲峰市議とともにご相談を伺ったのだが、
その中身は、障害者スポーツの振興に関するご要望であった。

その本質を突いたお話に、私たちはひどく心を痛めながら、その抜本解決には国の力が必要だ、
と即、山本ひろし参議院議員にお伝えし、機会があればぜひ同行訪問を、と要請していたところであった。

それから、たった6日。

国会開会中の間隙を縫って、1人の庶民のために駆けつける国会議員が、はたして何人いるだろう。
山本さんは、さすがだな、といつも思う。

さて、その広瀬さん。
悠(はるか)君という、目に障がいを持つ息子さんが、実は、日本を代表するアスリートなのである。

昨年は、全日本視覚障害者柔道大会男子100キロ級で見事優勝し、
第3回IBSA世界選手権大会ブラジル2007男子100キロ級では5位入賞。

そして。

本年9月開催の北京パラリンピック日本代表に内定した、彼の栄誉と功績に対して、
地元松山市からは、平成19年度かがやき松山大賞が贈られ、顕彰されたのである。

ご両親の喜びは如何ばかりであろう。
悠君は、最高の親孝行者だ、と思う。

伺えば、彼は高校2年のとき、緑内障を患い、
以来、右目の左半分と左目のほとんどの視野が失われているのだそうだ。

言葉にできない挫折を乗り越え、今に至る道のりの支えとなったのが、
小学2年のときから続けてきた柔道だった、と彼はいう。

障がいというハンデを、スポーツによって乗り越えたのだ。

なるほどスポーツは、国籍も、老若男女も、年齢も、問わない。
まさに、人間が作り出した、ユニバーサルな文化といえよう。

スポーツを通して障がいを乗り越え、夢と希望を実現する彼の生き方に感動するとともに、
政治の力で、障がい者スポーツの普及と振興をリードしなければならない、と痛感した。

世界を雄飛する悠君の知見によると。

欧米では、障がい者スポーツのトップアスリートたちは、
国家プロジェクト並みの待遇と育成環境が与えられているのだそうだ。

それに比して日本の現実は、というところを、ご両親からあらためてお伺いしたのだが、
事実の持つ説得力に、山本ひろし参議院議員とともに真剣に受け止めさせて頂いた。

さあ、ここからが私たちの仕事である。

寒さ厳しい夕暮れに、いつまでも見送ってくださる広瀬さんご家族に対して。
ネットワーク政党・公明党として。

国と県と市のそれぞれの立場において、また一体となって、
障がい者スポーツの振興に取り組むことを、心に深く、決意した。

それにしても帰り際、悠君がんばれ!と握手した彼の手は、さすが100キロ級チャンピオン。
実に、痛ゴツかったのである。

(写真は、左から私、広瀬悠君、山本ひろし参議院議員、雲峰松山市議会議員。)
  
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2008年01月24日

愛と苦悩の果てに、光明あり

県外視察2日目の今日も、島根県。

桜江町の、農業生産法人(有)桜江町桑茶生産組合様と、
邑南町(おおなんちょう)の、香木の森公園の2ヶ所を視察した。

桜江町は、もともと養蚕で栄えた町であった。
それが1996年に養蚕業売上0円となり、地元産業として消滅したのである。

若者は、町を出た。
残ったのは、広大な桑畑と高齢者。

そのどん底から、ドラマは始まった。
残された者、また、この町を残すべき者として、これからどうやって食べていくか、皆で考えた。

結論は、桑、の活用であった。

なぜ桑は、この町に、何百年にもわたって、存在し続けたのか。
それは、様々な角度から検証して、この地が桑の生育に最適だからであった。

町を流れる暴れ川、江川の氾濫にも屈せず、5年放っておいても成長を続ける桑の生命力。
それを、健康食品ビジネス化することに成功したのである。

その努力は、2006年9月、国の「立ち上がる農山漁村」有識者会議にて、
農林水産業を核とした地域の成功例として選出され、この町の進化の1つの通過点として報われたのである。
(ご参照URL⇒ http://www.kuwakuwa.tv/column/2006_10.html )

次の邑南町・香木の森公園では、文字通りというしかない、吹雪の中、
そして大変お忙しい中を、石橋町長様ご本人自らのご同行とレクチャを賜った。

この町も、過去、急激な人口減少と高齢化の危機に瀕したのであるが、
同公園を観光資源とした取組みにより、今、着実に元気を取り戻しつつあるのであった。

そのハーブを活用した各種施設もさることながら、私は「園芸福祉研修」という取組みに目を瞠(みは)った。
( http://www.town.ohnan.lg.jp/SiteM/kik2info.nsf/799d23c85d2c4a4b49256afd004c1459/6a734dff9c69276a4925734f001a2c82?OpenDocument )

この取組みの主眼は、交流人口と定住人口の拡大にある。
少子高齢化に真っ向勝負、直球ストレート戦略である。

ターゲットは、剛速球のど真ん中。
園芸もしくは福祉に関心のある、全国の独身女性、のみである。

事前選考をパスした定員に対して、1年間、同町に住み、同公園にて働いて頂く。
もちろん各種助成あり、報酬あり、である。

その1年間の中で、育苗の基礎から管理・販売、園芸の福祉活用等を学んで頂くのである。

人間、1年もそこに暮らせば、愛着もわくし、人間関係も自ずと広がるものだ。
結局、定員の内の何名かは、研修終了後、同町に移住されるのである。

同研修制度導入から現在まで14年。
この間、全国各地から101人を受け入れ、23人がこの町に定住した。

その内、16人がこの町で結婚し、25名の子どもたちが生まれた。
48名の、人口増である。

そればかりではない。

研修終了後、各地に戻ったOBたちの口コミによって同町の魅力は流布され、
OBたちはまた、観光客となってこの町のリピーターになるのである。

各種の施策が相乗効果となって、香木の森公園の入場者数は、
開設当時の年間1万人から、現在は20万人超へと拡大。

その努力は、日本クリエイション大賞2006地域活性化賞受賞により、結実した。

同公園にて、ザクッ、ザクッと、深いぬかるみのような雪を踏みしめながら。

人間の知恵には行きづまりがないな、
おらが町に対する愛と苦悩の果てに、必ず光明は見出せる、ということを確信した。

吹雪の中国山脈を越え、松山観光港に無事到着し、ほっとしながら。

島根県での2日間の視察を、わが愛媛の地域活性化につなげること。
それが、特別委員会に求められる成果であり、私の重要な仕事なのだと、あらためて決意した。

足元の、愛媛の陸地が、愛おしく思えた。

(写真は、バケツをひっくり返したような雪の、香木の森公園。)
  
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2008年01月23日

浜田市に、どんちっち、というブランドあり

今日は、私が所属する地域活性化特別委員会の県外視察、の初日。
視察先は、島根県である。

ここ数日の寒波はこの日も厳しく、震えながらの早朝、
13名の議員団・事務局メンバーで松山観光港から、一路、浜田市へと向かった。

午後、浜田市役所に到着。

牛尾議長様他ご一同様から熱烈歓迎を頂いた後、
約1時間、同市水産物のブランド化戦略についてお話を伺った。


簡潔にまとめると。

浜田魚港で水揚げされる水産物のうち、特に競争力の高い、アジ・のどぐろ・カレイの3種類を、
「どんちっち三魚」としてブランド育成することで、水産業全体の収入拡大を図る、というものだ。
(ご参照URL⇒ http://www.city.hamada.shimane.jp/kurashi/nousui/suisan_don.html )

2002年から取り組みを開始し、現在6年が経過したわけだが、手応えは上々という。
それまで低迷していた魚価が、めざましく上昇を続けているのだ。

アジを例にとると、ブランド化以前の平均単価で157円/kgだったのが、昨年は265円/kg。

どんちっちアジ取扱い後、以前の浜田産アジ時代の、約1.7倍の高級魚になったのである。
基本的に同じ水揚げ品質にもかかわらず、だ。

その高付加価値化のポイントは、脂質の含有量、いわゆる、脂の乗り具合にあった。

1匹1匹の脂質含有量を検体機器によって測定し、
おいしさを科学的に証明する商品化に成功した、といえよう。

特に、脂志向の強い関東で、高脂質でバラツキの少ない、どんちっちアジの人気は、
他産地のアジに比べ、数倍の高値をつけるほどだ。

どんちっちアジの鮮魚出荷実績を、3年前と比べると。

平均単価は596円/kgで、約2倍に、
販売総額は約2億円で、約2割増に、なった。

のどぐろ・カレイも同様の成果を示し、その他の浜田市水産加工物にも波及効果を与え、
同ブランド化戦略は順調に成果を上げているといえる。

また、戦略の進展により生じた新たな課題は、
今後、さらなる生産・販売手法のイノベーションにより昇華させていくということだ。

事実ほど強い希望はない。
愛媛に当てはめた時、東予であれ、南予であれ、各地の様々な可能性が考えられるのである。

その後、㈱島水様の水産加工施設と、しまねお魚センターを視察して初日は終了となったが、
その日の夕食は、ある意味、試食であった。

どんちっち3魚を頂いたのであるが、旨い!のひとこと。

特に、のどぐろは、まさに、大トロ。
小泉武夫教授風にいうなら、口の中で、ピュルリピュルリと旨み成分が溶けだしてくる、のである。

春から夏が旬といわれる、そのピーク時のおいしさは如何ばかりかと想像しながら。
特別委員会のテーマである地域活性化を、わが愛媛でどのように実現していくか、を考える。

浜田市の取り組みに、大いに学びとヒントを得た初日となった。
視察2日目となる、明日の触発もまた、今からワクワクなのである。

(写真イラストは、どんちっちブランドキャラクター。キャラクターが手にする魚は左から、アジ、カレイ、のどぐろ。)
  
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2008年01月22日

家族にありがとう、を思う

今日は、不肖・私の誕生日。
早生まれのため、遅ればせながら、44歳となった。

当たり前だが、この年になると、プレゼントも、ケーキも、ないわけで。
もはや、誕生日は特別な日ではなく、淡々と受けとめる365分の1日である。

と、いつもと同じように、さりげない朝。
自宅から公務へと向かう。

午前は、各部局からわが会派に対して説明事項の来訪が相次いだ。
午後は、来年度予算要望の第1回会派打合せをみっちりと行ない、また、新たな県民相談を種々承った。

そうして、1日はあっという間に過ぎ、帰宅後。

書斎、といっても手狭な一室で、
私は、明日からの県外視察の下調べ、党務連絡などに粛々と励んでいた。

しばらくして、ドカドカと子どもたちの足音が近づいてきた。
ドアが開くなり、こっちへ来て、という。

何、なに?と思って、リビングルームにいくと。
2人そろって、ハッピーバースデー トゥー ユー ♪である。

ハハァ~ン。
で、合唱が終わると。

お誕生日おめでとう、のかけ声とともに、2人から私に、ラブレター授与式が行なわれたのである。
謹んでお受けいたします、なのである。

予期せぬ子どもたちの計らいに、私は、すっかりやられてしまった。
こんなことされると、感激するではないか。

ラブレターの中身はというと、8歳の息子からは、私へのメッセージだった。

そして、もうすぐ4歳になる娘からは。

家族の似顔絵と、たくさんの小さなハート型の切り抜きと、折紙作品と。
キティちゃんのシールと、お菓子が、ぎゅうぎゅう詰めに入っていた。

愛情がいっぱい詰まった、ラブレター。
私にとっては、何よりのプレゼントであった。

やっぱり、誕生日は、特別な日。
それは、年に1度、大切な人との愛情を確認する日なのかもしれない。

子どもあっての自分、家族に支えられてこそがんばれる自分、というものを
あらためて確認した1日となった。

44歳の初日に、しみじみと。
家族に、ありがとう!を、思う。
  
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2008年01月21日

寒波から始まって、1日の終わりに

寒波、襲来。
午前、少し余裕を持ちながら、先輩議員とともに今治へ出発。

少し、どころの騒ぎでないことに、北条あたりで気づく。
積雪による高速の通行止めにより、国道R196が数珠繋ぎの大渋滞。

うんともすんとも、動かない。

予定していた式典参加に遅れ、関係各位に大変ご迷惑をおかけした。
大変申し訳なく思うとともに、自身のリスク管理の甘さを猛省した。

午後は、県民相談にて部局相談、種々。
その後、企業訪問。

某販売会社にてマネージャ役員と、しばし面談させて頂いたのだが、
たまたまかどうか、リスクに関する話題が中心となった。

およそ経営者にとって、今ほどリスクに敏感にならざるをえない時代はないのではないか、
あるいは、
リスクヘッジの巧拙が、業績ひいては企業そのものの存亡を左右する時代。

その厳しさを、お互いに確認しながら、話は続いてゆく。
そして、最後はマネジメントの話にゆきついた。

ということになれば、ドラッガーである。
帰宅後、たしかこの辺、とばかり早速、1冊の本を取り出す。

非営利組織の経営、だ。
行政に携わる者として、何度となく読んではみたものの、読むほどに、深い本。

読み返す中で、今日、最も響いたのは、次の一節だ。

『非営利組織に働くあらゆる者が何度も何度も繰り返すべき究極の問いは、

「自分はいかなる成果について責任をもつべきか、
 この組織はいかなる成果について責任をもつべきか、
 自分とこの組織は何をもって憶えられたいか」である(P159)。』

非営利とはいえ、いや、非営利だからこそ、責任を持たなければならないのである。
でもって、常に問え、と厳しいのである。

その通りだ。
と、別の書にも、慧眼は事欠かない。

『確実なもの、リスクのないもの、失敗しようのないものは、必ず失敗する。』
いわゆる、ドラッガーの第四法則である。

寒波による交通の乱れによって、平時のありがたさが身にしみ、
氏の慧眼によって、惰性の罠の恐ろしさに気づく。

寒波から始まって。
仕事を油断しては、いけない、と感じた1日となる。
  
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2008年01月20日

存在理由の確認と、その有難さ

昨日今日と、県民相談対応に掛かりきりとなった。
相談多数、報告多数、である。

そういえば。

企業では、よく、ホウ・レン・ソウという基本がいわれる。
いわゆる、組織や上司への、報告・連絡・相談、だ。

議員に訳すと、その順番は、ソウ・レン・ホウとなる。

県民当事者からの相談があって、関係部局への連絡があって、
その検討あるいは調整結果を、最後にその方へご報告する。

これが、基本なのである。
そして、私は。

そのサイクルが最短で、最大のクオリティが実現できるよう、
特にスピードを意識しながら、今持てる全力で取り組ませて頂いている。

スピードといえば。
昨今では、メールという便利なツールが一般常識化した感がある。

が、私の場合、なるべく、当事者の思いそのままにお伝えできるように、
理事者各位への連絡は、アナログかつフェイスtoフェイス、を心がけている。

広告会社勤務時代に身につけたブリーフィング、オリエンシート、シーンボード、ビデオや、
はたまたサムネールというお絵描きを活用しながら。また、対話のトーンも含めて。

とはいえ、努力の余地は広大で、まだまだなのである。
と、前置きは、そのくらいにして。

今日は、いくつかの県民相談のご報告で。

当事者の方々から、予想をはるかに越えて喜んで頂く場面があり、
それ以上にこちらの方が、嬉しさ込み上げた1日なのであった。

個人情報でもあるため内容は措くが、
それぞれの方から頂いた評価には、共通したポイントがあった。

1つは、そのためにわざわざ足を運んでくれ、そこまでしてくれたこと。
もう1つは、市と国とのスムースな連携とその反応の速さ、であった。

いい意味で期待が裏切られた、といわれるのである。

嬉しさが込み上げたのは、私のことに対してではない。
それこそが公明党の存在理由に他ならない、ということに対してであった。

本当に、嬉しかった。

まさかそんなことまで、という、その、まさかの実現こそ、公明党創立の原点なのだ。

政治は国民のためにあり、議員はそのために働く公僕なのだから、
そんなことまでするのは当たり前なのだ、ということを体現するのが、公明党の使命なのである。

あまりにも大きな使命と、そして。

その一員として恥じないように。
広大な努力の余地を、今日よりまた、自身との戦いの中に埋めてまいりたい。
  
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2008年01月19日

そういうアプローチ、あり

13:30、市内で開催された、盲学校を守ろう集会in松山に参加させて頂いた。

この催しは、県が進めている、盲学校を聾学校に移転・統合する計画に対する、
文字通りの、反対集会である。

盲学校を現在地に存続させる会の主催、関係諸団体の共催により、
同計画に反対する理由についての理解と協力を広げることが目的だ。

県議会でも、9月定例本会議にて。

同会による上記請願を全会一致で採択したことはご承知の通りであり、
わが会派も、最初から一貫してその趣旨に賛同し協力してきたところである。

ちなみに聾学校関係者も、同計画への反対運動を独自に展開している。

当事者団体いずれもが反対する、その気持ちを真摯に受け止め、
対応を過たないよう、議員の立場でしっかり注視してまいりたいと思う。

さて。

会場に足を運びながら、すごくシリアスな雰囲気を予想していたのだが、
あにはからんや、大いに楽しませてもらったのである。

皆さんのエンターティナーぶりに、ぶっ飛ぶほど、驚いた。
たまげた。

そういうアプローチ、あり、と思った。

反対!反対!というと、何か眉間に力が入るが、
彼らは、それを、いわゆるコントにしてしまったのである。

しかも、芸人はだしでそれを演じたのは、
会の代表と、顧問と、事務局長のお三方であられる。

いわば、この反対運動推進の核となる方々が、
それを買って出るところに、その心意気に、感動したのである。

涙あり、笑いありの小劇場。
今回の企画をプロデュースされた方に、思わず、心から拍手を送った。

そして。

そうなんだ、目の前の困難は、こうして明るく笑い飛ばしながら乗り越えていくんだ。
と、人間の、本当の強さというものを教えて頂いた気がした。

貴重なひとときに出会えて、ありがたく感じるとともに。
楽しませて頂いたのとは、うらはらに、だからこそ。

県民の皆様の思いをわが思いとして働いていくという、公僕の使命に、
ひたすら真剣に徹してまいりたい、と思った。

(写真は、盲学校を現在地に存続させる会・楠本光男代表の、華麗なるアルトサックス演奏。)
  
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2008年01月18日

ちゃんと、年を重ねるために

10:00、決算特別委員会、開会。
この日も、最後まで傍聴参加した。

今日の審査は、保健福祉部・農林水産部・土木部・教育委員会事務局の4部局と、
人事委員会事務局・議会事務局・監査事務局・労働委員会事務局・出納局、の諸局である。

その中で、ドキリとする場面があった。

委員の質疑に、教育委員会事務局が回答できず、休憩再開後、それでも回答できず、
委員長預かりで、結局、最終日に答弁を持ち越すという一幕だ。


詳細は、おそらく掲載されるであろう、明日の地元紙に譲るが、
瞬間、語気を強めて叱責した清家委員長の、鬼気迫る真剣さが、ずしりと心に響いた。

深く、考えさせられた。
そして、また1つ、貴重な経験をさせて頂いた。

さて、そんな中。
思いがけず、理事者の中に、懐かしい顔を発見した。

間違いない、と踏んだ私は、休憩中に声をおかけした。
やはり、Mさんだった。

約20年ぶりだろうか。
ちなみに彼は、私と同じ、香川大学。

コンボ・ユニティという軽音楽部の先輩である。
フュージョン系のバンドで、ギターを担当されていた。

当時、スウィングのしかたが寺尾聰に似ているな、と密かに思っていた。
そして今日。
カッコちょうどよい、その枯れ具合が、今の寺尾聰に似ているな、と思った。

特別委員会終了後、
県民相談で部局を駆け回ると、外は夕暮れの気配。

終業前の忙しい時間帯であったが、先輩の所属する部局をめざした。
そして極めて短時間だが、近況を交わした。

どの先輩も、それぞれにご活躍のようで何よりだし、
私のことも、それぞれが見守ってくださっているとのこと。

無性に懐かしくなった。
スウィートばかりではない青春のメモリーが、脳裏にフラッシュバックしながら。

あの頃、みんな若かった、と思う。
そして、歳月は人を待たず、を知る。

だからこそ。

いつ、どこで、誰と再会してもいいように、ちゃんと。
年を重ねてまいりたい、と感じさせられた1日であった。

(写真は、今から24年前、1984年当時のコンボ・ユニティ一同。あまりにも、若い。)
  
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2008年01月17日

有難い、ゆえに我あり

午後、松前町の企業を訪問。

地元の、公明党・松本ひふみ町議に同行頂き、
各社に対する御礼のご挨拶とともに、ご商売の状況などお伺いさせて頂いた。

それぞれの経営者の、お話の切実に。
地方の厳しさ、中小企業の大変さを、肌身で感じずにはいられなかった。

彼らからすれば。

この場所で、この立ち位置から、世界と戦っていかねばならないという時代に、
その前に、霞ヶ関と永田町が敵になってはいけないのである。

政治は、彼らがきちんと戦える、つまり、健全な競争ができる環境を作らねばならない。
しかし、そのスタートラインにさえ立てていない、というのが今の地方の現状であろう。

原油高騰によるスタグフレーションの進行を予感させる、昨今。

国は、政策を間違えてはならないし、
また、間違えないように、地方の声、庶民の声をしっかり届けてまいりたい、と思う。

さて。

それにしても、さすが、と思ったのは、松本ひふみ町議である。

後輩の私がいうのも大変恐縮だが、よく足を運ばれているし、喜ばれる仕事をされている。
各社長からも、いつも親身に相談に乗ってくれる頼もしい存在、と大絶賛の太鼓判。

いつまでも明るくはずむ対話に、信頼の二文字がクッキリと浮かび上がってくるようだ。
とはいえ、その信頼関係は、決して一朝一夕ではあるまい。

道のりのご苦労に思いを馳せながら、よきお手本として、
私も、地道に企業訪問を重ね、信頼を広げてまいりたい、と思う。

そして、夜。
市内3ヶ所の支持者座談会に参加させて頂く。

お寒い中を集われた、老若男女プラス幼、すべての皆様の、
日本一の笑顔に囲まれながら。

日頃のご支援に対する御礼と、
エピソードを交えた自身の近況・決意を述べさせて頂いた。

我思う、ゆえに我あり、がデカルトなら、私は、有難い、ゆえに我あり。
と、支持者の皆様を前に、確信するのである。

いつも変わらぬ真心を頂くがゆえに、いつも感謝を忘れることなく。
議員活動のすべてに、真心を込めて、働いてまいりたい、と思う。

(写真:松山観光港から望む、空と海と興居島、と走る船)
  
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2008年01月16日

頭の中の引き出しに、あるもの、ないもの

午前、党務。
午後と夜は、市内5ヶ所の支持者座談会に参加させて頂いた。

どちらの会場も温かく受け入れてくださり、感激に堪えないし、
いつも真心からご支援くださる皆様に、感謝が尽きない。

貴重なお時間を頂き、お1人お1人に心を込めて。
昨年から今日までの御礼と、自身の近況及び決意を述べさせて頂いた。

この、9ヶ月。

議員になる前のお約束、議員となった際の初心を、1日も揺るがせにせず、
それのみを頼りに、無我夢中で走りぬいてきたこと。

その中で、感じたこと、学んだこと、掴んだこと。
そして、これからも謙虚に、誠実に、初心をたもちながら、果たすべき自身の使命のこと。

心にあるままを、ありのままに。
ありのままとはいえ、しっかり心に刻みながら、お訴えさせて頂いた。

もとより議員たるもの、発言には責任を持たねばならないからだ。
そう考えると、いつもながらだが、私のありのままは、常に緊張状態100%なのである。

そして、自身の拙さに、いつも心で苦笑いなのだが、さて。

いくつかの会場にて、せっかくの機会だからと、いくつかの質問を賜った。
新人議員には、抜き打ちテストのようなドキドキ、を感じる瞬間である。

一方、力ある先輩議員は、こういうとっさの場面で、
頭の中にあるいくつもの引き出しを、自由に駆使することができる。

TVに出演される国会議員もそうだし、
身近においても、そういう先輩議員をたくさん見てきた。

残念ながら、私の頭の中の引き出しは、極めて乏しい。
いくつか開けて、その中にあればよし、なければ終わり、なのである。

今日も、そういう場面がやってきた。
わかりかねますので、お調べして後日ご報告させて頂きます、というしかないのである。

発言に責任を感じるからこそ、なのだが、いかにも新米議員です、ともいえる。
もはや、猛烈に勉強するしかない。

生活者と生活現場へ、動き、走り、語り、感じる毎日にあって。
議員たるもの、自身のナレッジマネジメントにも責任を持たねばならないのだ。

つくづく、猛烈に勉強するしかないのである。
痛感を通して、支持者の皆様から教えて頂いた1日であった。

(写真は、大空をゆく、たぶん、トンビ。頭の中を自在に飛びまわりたい願望の象徴として。)
  
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2008年01月15日

未熟と非力をいう前に、勉強あるのみ、行動あるのみ

10:00より、平成18年度決算特別委員会が開催された。

私は委員ではないけれど、
新人はすべて勉強、とばかり、傍聴出席させて頂いた。

今日の審査は、総務部・企画情報部・県民環境部・経済労働部・警察本部の5部局。
残りの部局については、次回18日の開催となる。

各部局ごとに、それぞれが所管する事業の成果と決算内容に関する説明が行なわれ、
その後、各委員による質疑が行なわれた。

お昼をはさんで、みっちり5時間。
7分冊800ページ強の、ほとんど数字ばかりの分厚い資料との格闘に、ヘトヘトとなる。

さて。
今回決算審査を行なう平成18年度というのは、県の財政構造改革スタートの年であった。

少し、解説すると。

平成16年度の三位一体改革による、いわゆる地財ショック以来、全国のほとんどの地方で、
地方交付税をはじめとする依存財源が大幅に削減されることとなった。

平成18年度は、そうした状況を前提として。

県の財政構造のあり方を模索し定めた財政構造改革基本方針に沿って、
第5次愛媛県長期計画における今後5年間の後期計画を、策定実施した初年度なのである。
(ご参照URL⇒ http://www.pref.ehime.jp/020kikakujoho/010kikakucyouse/00007791060420/tyukivisiontop.htm )

その決算は。

一般会計が、歳入6,267億8,652万円・歳出6,183億3,702万円。
特別会計が、歳入230億6,530万円・歳出188億9,669万円。

職員各位の不断の努力により、いずれも実質収支は黒字を計上しているが、
決して、良かったよかった、と安心できる状況にはないのであって。

県債残高、つまり県の借金総額が、過去最高の9,742億円となっていること。
その借金規模は、実に、年間予算の約1.5倍に相当する。

また、公債費、いわゆる毎年返さなければならない借金返済額が、982億円と膨らんでいること。
それは、一般会計の歳出の約16%を占め、財政裁量を大きく圧迫している。

そして、いざという場合の財源対策に充てる基金残高が、約127億円となっていること。
これは、前年度比約24%減で、ほぼ枯渇状況といえる。

あるいは、決算を家計でイメージすると。

収入が激減する中、子育てから医療・介護まで必要経費と借金は毎年増え、切り詰めて切り詰めて、
何とか黒字としているが、貯金もほとんど使い果たしたギリギリの暮らしぶり、といえようか。

考えれば考えるほどに、深刻な財政状況である。
その中で舵を取らなければならない県の行政責任は重大だ。

委員会を傍聴して、痛感した。
そして、この難局を乗りきるために、自分に何ができるか。

未熟と非力をいう前に、勉強あるのみ、行動あるのみ。
800ページにわたるわが県の行政サービス全体を、ありありとイメージできてこそ。

真のムダも、モレも、合理も、効率も。
トヨタ式にいえば、永遠のカイゼンはそこから始まるのだ、と思った。

まだまだ駆け出しの身には、究極至難の道のりではあるが、
その高みへ必ず辿りつくのだという信念を持って、着実に前進してまいりたい、と思う。

(写真は、本日の資料。その厚さ、ほぼケータイ幅。)
  
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2008年01月14日

0か100か、ではないその間について

ある壮年の方から、お電話を頂く。
それは、党に対するお叱りを含む、貴重なご意見だった。

今、ガソリン税が国会の争点の1つになっているが、
公明党は、なぜ下げようとしないのか、と。

報道は、自民と民主の対立ばかり取り上げ、公明党の存在はほとんど埋没している。
どころか自民党と癒着の印象ばかり伝わり、残る。

また、生活者の党を標榜しながら、生活者の気持ちに敏感に反応していない。
まったく、民主党にお株を奪われている。

私だけでなく、まわりの多くも同じ気持ちだ。
生活者に対して、もっと敏感に反応してほしい。

そして、庶民として、支持者の1人として、
どうしてもこの思いを党本部に伝えたくて、県議であるあなたに電話をかけたのだ、という。

もう思わず、感謝の気持ちが込み上げてきた。
堰を切ったように、感謝と御礼を申し上げた。

そして、その思いを必ずお伝えすることをお約束した。
その上で、この問題の論点と党の見解について、私なりに感ずるところを率直に申し上げさせて頂いた。

正式にいうと、租税特別措置法。

その第89条第2項に定めた揮発油税の暫定税率の適用期間が、本年3月31日で、切れる。
この暫定税率を撤廃して当初税率に戻すのか、そのまま維持するのか。

というのが、この問題の主要な論点である。
但し、その歴史から検証すると、非常に複雑にして実に深い問題ではあるが。

まず、撤廃すると、税収が約2.7兆円減る。
愛媛に関していうと、市町を含めて約200億円減収という試算もあり、これでは道路整備事業はまったく成り立たない。

どこか別のところから財源を確保しようにも、あまりにも巨額すぎるため、
結局、大幅な行政サービスカットか、新たな負担増か、いずれにしても県民に多大なしわ寄せが生じてしまう。

それは困る、維持してほしい、というのが、愛媛ばかりでなく、全国の地方自治体のほぼ共通した意見だ。
わが県を含む32県議会が、道路特定財源確保を求める意見書を昨年12月議会にて可決している通りである。

一方で。

暫定税率を撤廃すると、ガソリン代が1リッターあたり、ざっと25円、値下げできる。
普通自動車なら、1回満タンで、1000円前後違ってくる計算だ。

原油の高騰が続く中、これは、庶民にとっては大きい。
暫定税率を撤廃してガソリン代を値下げしてほしい、というのは、まさに庶民の皆様の実感であろう。

公明党としては、地方自治体の声と現実の財政事情を踏まえ、ギリギリの判断で暫定税率維持のスタンスだが、
一方で、庶民の生活をしっかり守る観点から、原油高騰対策を、同時に、着実に、進めている。

地方議員との連携で。
福祉灯油の全国推進をはじめ。

離島・過疎地域の足の確保、中小企業の資金繰り支援、運送業者への高速料金引き下げや、
農漁業者への経営支援などの他、便乗値上げなどの価格監視など、諸対策を推進している。

壮年の方と、ひとしきり。
胸襟を開いた語らいを有難く感じながら、お叱りが励ましへと変わりながら。

その中で、ハッとしたことがある。
例えていうと。

0か100か、ではない、その間の落としどころを見つける議論はできないか、ということだ。

その間が、30なのか、60なのか、それとも、やっぱり0か100しかありえないのか。
どの党も、それを言わない、と。

なるほど、その通り。
すばらしい、ご指摘に感動したのである。

もちろん、税率に手をつけ出すと大変なことになる、ということは容易に推察できる。
が、汗をかきながら、それを提示することこそ、私たち公明党の役割なのではないか。

予期せぬ、1本の電話に。
深く考えさせられ、そして、受話器を置いてからも、感謝が込み上げてきた。

その壮年の方のまごころと、頂いた貴重な示唆にお応えできるよう、
しっかりと力をつけてまいりたい、ただただ、そう思った。

(写真は、愛南町・松軒山公園の風見鶏。その敏感を、見習いたい。)
  
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2008年01月13日

粉雪舞う、桜三里を帰りながら

今日は1日、しまなみデー。

今年に入って3回目の今治訪問だが、まだまだ訪れなければならないところは沢山ある。
足しげく通い、一人でも多くの方と対話を重ねてまいりたいと思う。

さて。

日中は、今治の支持者会合に参加し、お一人ずつ心を込めて、御礼のご挨拶をさせて頂いた。
皆様の笑顔に励まされながら、本年の飛躍をしっかりと、心に期した。

会合終了後は、石井・谷口今治市議とともに、街頭遊説へ。
寒風の中、のぼりとハンドマイクを持ち、市内3ヶ所の辻立ちである。


最近の、国政における公明党の取り組みと成果について、
今年度補正予算および来年度予算編成の観点から、力いっぱいお訴えさせて頂いた。

改革は継続しつつも、負担増・格差の緩和など国民生活を重視すべき、というのが私たちの主張であり、
予算案に盛り込んだ具体的事例のいくつかをご紹介させて頂いた。

行き交う車からお手を振ってのご声援や、ご通行中の皆様から頂くひとことのお声がけが、
凍てつく寒さの中、暖かく心に沁みた。

支持者の皆様への感謝の気持ちとともに、ご期待に添えるさらなる成果を出せるよう、
国と地方の公明党ネットワークを駆使してがんばらねば、と決意する。

街頭遊説終了後は、一路、西条市へ。

その移動途中に、あまりにも懐かしい方のお店を発見し、思わず立ち寄った。
ご家族の方からお元気そうなご様子を伺い、ご発展ご活躍を、と心から思った。

向かった西条市では支持者会合に駆けつけ、そして皆様に、
お寒い中をようこそおいでくださいました、との思いで御礼のご挨拶をさせて頂いた。

青年の笑顔が、ひときわ眩しかった。

しまなみでの終日は、あっという間に過ぎ。
今日移動したあちらこちらで、刻まれた青春の足跡が交錯した。

たとえば、どんどびで。あるいは、今治城で。
また、高速ができる前のルート11号で。

あぁ。
この地での、いくつもの出会いと体験のこもごもすべてに、大感謝、を思う。

とともに。
育てて頂いたしまなみとしまなみの皆様に、必ずご恩返しの貢献を、と、決意が込み上げる。

充実の1日を終えて、家路をめざす22:00。
桜三里には、粉雪が舞っていた。

(写真は、テクスポート今治での遊説風景。右は公明党・谷口今治市議。)
  
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2008年01月12日

高いお金を払ってでも行きたい町、になろう

今日は、終日、愛南町デー。
走って、走って、300Km。

企業訪問と、県民相談と、観光・商業施設の視察と。
そして、支持者の皆様へのご挨拶にお伺いさせて頂いた。

たくさんの方にお会いでき、感謝の思いでいっぱいになる。
出会いの1つ1つに、感動あり、発見あり、驚きあり、で、何を綴ろうか迷うのだが。

つらつら思うに。

今日お会いしたどの方からも、素朴でほのぼのとした温かさが伝わってきた。
それはきっと、ご当地が育んだ、南予人特有のトーンなのであろう。

また。

対向車や後続車をあまり気にすることなく、美しいリアス式の海岸線を伝って走っていると、
視界に広がる雄大な宇和海、整然と並ぶ養殖いかだ、点在する小島と、対をなす空の雲。

風光明媚とはまさにこのことだ。
気持ちが、ゆっくりと、癒されていく。

この、実にゆったり感じる時間の流れの中にこそ、この町の重要な価値がある、
と思わずにいられない。

松軒山に上がってみると。
蝋梅が、今が盛りと咲き薫っていた。

鮮やかなレモンイエローが眼前に広がり、吹く風に甘い香りが伝わってくると、
ここでもまた、あわただしい日常から解放された気分になる。

道の駅MICに行けば、特産品がズラリ。

特に、魚の安さには驚きだ。
ワンコインあれば、家族が十分満腹になれるに違いない。

野菜も、とれたてだから新鮮だ。
トレーサビリティなどと難しいことをいわなくても、どこそこの誰々が作った、と書いてある。

そのほかにも書けばキリがないほどに。
いわゆる田舎のよさが、随所に感じられる町である。

深刻明らかな、少子高齢化も、過疎も、財政再建も。
このゆったり時空に浸っていると、何とかなるとさえ思えてくる。

今、必要なのは、悲観主義から楽観主義への、心の切替えなのかもしれない。

いずれにしても、難題解決の糸口は、地域経済の復興にあり。
これが、衆目の一致するところだ。

今、この町は。
あいなんブランドの構築を目指し、様々な取り組みに懸命なのである。

ポテンシャルは、十分だ。
来てみるとよかった町、から、高いお金を払ってでも行きたい町へ。

そんな、全国に希望と感動を与えるドラマを、皆様とともにぜひ作っていければ、と思う。

(写真は、松軒山に咲き薫る、蝋梅)
  
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2008年01月11日

大阪を感じ、思ったこと

夜、北条にて、支持者の集いに参加させて頂く。

今年もがんばります、ますます働いてまいります、との思いを込めて、
また、祈りながら、お一人お一人にご挨拶をさせて頂いた。

その後、ある壮年の方との懇談の機会を得た。
結論からいうと、有難い、のひと言である。

ナゼか。
政治に、公明党に、そして私たち議員に、期待してくれているからである。

耳の痛い話、手厳しい話ほど、議員は自ら足を運び、求めて聴かなければならない。
そして、その中にこそ、政治における課題解決のヒントがある、と私は確信する。

もとより、民主主義という社会は、多様な意見を許容する。
もっと直接的にいうと、ものごとには必ず、反対意見がある。

その場合の意思決定は、議会政治では多数決というルールを定める。
ルールに基づいてどのように多数を形成するか、それを決めるのは民意であり、手続きは選挙である。

返す返すも、政治の出発点は民意であり、ゴールもまた民意でなくてはならないのだ。

だから、私たち議員は、民意がどこにあるのか、何が民意であるのか、
アンテナを高くして、研ぎ澄まして、日々キャッチしなければならない。

壮年の方のお話を伺いながら、そんなことをまず思った。

さて。

その方は、大阪のご出身。
そして大阪は、私の原点。

青春の一時期を過ごし、熱く濃い、その凝縮された月日の中に、
今、議員をさせて頂く私の原点が、ある。

そして言うまでもなく、大阪の人は、実にストレートなのである。
ストレートを文化とするコミュニティが、大阪人を形成しているともいえる。

それは、ぶっちゃけ、ぶっちゃけさせられるコミュニティであり、
その一員となったとき、これほど居心地のよい世界はない、という社会である。

極めて独断と偏見の、私が実感する大阪観なのであるが、それはそれとして。

大阪から四国に帰ってきた当時、私は、四国の日常のすべてが何となく嘘くさく、
とにかく物足りない、中途半端さと違和感を、激烈に感じたことを覚えている。

壮年の方のお話の根底に、あのときの私の気持ちが重なって見えた。
すっかり四国人となった私も、このひと時、思わず大阪マインドが復活した。

勉強も経験も足りないことは承知の上で、率直な意見を披瀝した。
あるいは、ダメだ、と思われたかもしれない。それでもいい、と思った。

しかし、これが第1歩であり、対話のラウンドの継続と、
頂いた議員としての宿題の実行を、固く、心に期した。

ある人は、それを丸だと主張し、
別のある人は、それを四角だと主張する。

はたしてそれは、丸か、四角か、どちらが正しいか、という議論に対して、
それは議論が間違っている、といえるかどうか。

円柱であれば、いずれも正解なのであって。
円柱は是か非か、というのが正しい議論だといえるかどうか。

生活の課題解決を担う政治は、その知恵と勇気が試されている。
壮年の方から、そのことの大事をあらためて教えられた。

ゆえに有難い、と思うのである。

(写真は、身近な円柱といえばコレ、スティックのり)
  
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2008年01月10日

当たり前が、当たり前になるように

午前、企業訪問の後、終日にわたり県民相談対応。
時間に追われ、気づくと日が暮れていた。

さっき、日が昇ったのに、というのはオーバーにしても、
それくらい最近は、1日の経過を早く感じるのだが、さて。

ひとくちに県民相談といっても、内容は実に、千差万別・多種多様だ。
苦情も、ご要望も、生活の万般にわたるだけに、当たり前ではある。

ゆえに、それに対応する行政サービスも多岐にわたる。

そして、その行政サービスの適切な執行のためには、当然ながら、
それぞれの法務・専門知識を有した職員スタッフが必要となる。

その結果。

高度な専門スキル集団が、個々の案件の窓口として、私たちの目の前に現れる。
タテ系の、大きな行政ミッションのもとに、実に見事に細分化されながら。

数えてみると、その数、300強。
これは、県庁にある窓口(係等)の数である。

今、理屈を並べた。
言いかえると、行政から見た、組織構成の根拠説明である。

では、生活者の皆様から見ると、どうか。
非常に、わかりにくいのである。

何かあったとき、どこへ訊ねたらよいか、わからないのである。
今日、あるご婦人から、そんなご指摘を頂いたのだが、その通りなのである。

300ある中から、相談内容が該当する窓口1つを見分けるのは、至難であり、
至難なことを強いる行政サービスであってはならないのである。

また。

そんなことも知らないの、と思わず感じさせられてしまうのが、つらい。
相談先に行き着くまで何度も電話をかけ直すが、それもこちらの努力?と思うと、つらい。

その他にも、生活者の皆様が感じている具体的な、つらい、をいくつもお伺いする中で。

上位のタテ割りからつじつまの合う話は、今までの話。
これからは、生活現場からつじつまの合う話にしていかなければ、と強く感じたのである。

1人の生活者を基点として。
その当たり前が、当たり前になるように。

地方分権も、道州制も、そしてこれからの政治は全て、そこから議論を重ねなければならない、
ということを痛感させられた。

してみれば。

今日のご婦人のご指摘は、小さいかもしれないけれど大きな、重要な政治イシューといえる。
有難く、かつ、真剣に受け止めさせて頂くとともに、改善と改革へのさらなる努力を、と決意した。

(写真は、県庁正面入口横にありながら、今日まで気づかなかった、だいだいの木。)
  
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2008年01月09日

自身のDNAの本籍、を訪ねた

今日は終日、今治デー。
早朝、市内の通勤ラッシュとは逆方向に、東へ向かう。

まずは午前、県民相談にて波方を視察。
谷口今治市議に同行頂き、ご相談者から事情を伺う。

調査なくして発言なし、とはこのことである。

状況の不合理さに愕然となるとともに、その足で関係企業を訪れ、
行政当局との相互連携と、対応策の申し入れを行なう。


午後は、今治市役所、今治西高、今治北高、企業各社を表敬訪問。

市役所では級友2名を、いわば抜き打ちで、訪ねた。
一瞬、ビックリした後、苦笑まじりのニヤリ。

二人が示した、まったく同じ反応が絶妙に面白かったが、
突然の無礼を少々申し訳なくも感じながら、ご活躍に接し、嬉しい限りであった。

また。

私の母校・今治西高、妹の母校・今治北高では、それぞれ校長先生にご面談を頂く。
極めて個人的な世間話から始まり、教育行政から国の行方まで、対話は広がった。

お二方とも大変ご多忙中にも関わらず、快くご対応を頂き、心から感謝申し上げたい。

貴重な示唆に富むご教授を種々賜ったそのひと時は、まさしく、光栄の至りであった。
お取次ぎ頂いた教職員の皆様にも心より御礼申し上げたい。

そして、夕方にさしかかる頃、伯方島へ移動し、親戚挨拶、県民相談。
夜は、級友の営むお店で親戚と食事の後、今、ようやく帰宅、となった。

訪れたお店の級友は、中学の同級生。
たぶん卒業以来だから、29年ぶりの再会である。

念のため、店員さんに、お店の主人の名前を訊ねたところ、やはりテッちゃんだった。

だよね、と思った矢先、その店員さんが、“誉くんやろ”
と、ピタリ、私の名前を言いあてた。

一瞬の間をおいて、事態がようやく、飲み込めた。
その店員さんが、彼の奥さんであり、同級生のまみちゃんであることを。

感動的な、大爆笑となった。

あわただしい時間帯でもあり、ひと言ふた言のお話ししかできなかったが、
次はゆっくりと訪れることを約して、家路についた。

会いも会ったり、話しも話したり、の1日。
ハンドルを握りながら、思い返しながら。

自身のDNAの本籍。
あるいは。
あの頃、というだけで通じ合える、絆の不思議。

それがあることの有難さが、ほっこりと温かく、いつまでも心にしみていた。

(写真は、夕映え神々しい、伯方島の金波銀波)
  
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2008年01月08日

ルポの見出しは、残り時間

お正月モードから一転。
朝から出力全開、な1日。

ご訪