2008年07月31日
南予を走って、走って、走った1日
今日明日と、南予視察。工程を考えると、体力勝負、と見た。
朝、笹岡公明党県代表とともに、
県本部を出発。
まずは、宇和島市役所へ向かったが、
スイスイと、2時間強で到着。
その途中、いたる所で。
これでもか、とばかり目についたのが、
次期衆院選に向けた、各陣営のポスターである。
戦いは、すでに始まっているな、
と、思わず緊張感が走ったのは、職業柄、か。
さて、市庁舎にて、
松本宇和島市議と合流し、簡単な打合せの後、
ご案内を頂く地元の方とともに、
県道4号線、いわゆる、津島宿毛線の視察に、出発。
南予と高知を結ぶルートの内、
国道56号線をメインとすると、サブルートがこちら。
国道被災時の、
同地域のライフラインルートの1つ、だ。
津島町から岩松川沿いに進み、
途中、祓川温泉でお話を伺いながら、
ひと風呂浴びたがったけれど素通りし、
県境を越え、宿毛市に入ったのだが。
そこを、実際にハンドルを握り、走ってみて、
あるいは、ご要望の現場に立ってみて。
過去の出来事も含めた詳細情報を、
現地の方から1つ1つお伺いし、思ったことは、
やはり、
政治は生活現場主義でなければならないし、
どこまでも、知恵は、机上ではなく現場にある、
ということだった。
ちなみに、車を走らせながら、私は、
ふと、そこに県境があることに、違和感を覚えた。
その昔。
この地域は1つの生活圏だったに違いないと思うし、
訊ねると、今でも実態はそうだ、といわれる。
その話の延長で、
小中一貫教育の学校へも足を延ばした。
知る人ぞ知る、日本一長い校名の、学校だ。
その名は、
「高知県宿毛市愛媛県南宇和郡愛南町篠山小中学校組合立篠山小学校」、
「高知県宿毛市愛媛県南宇和郡愛南町篠山小中学校組合立篠山中学校」。
(ご参照⇒ http://sasayama-e.esnet.ed.jp/ )
児童生徒数は、小学校20名、中学校16名。
ノーアポで恐縮だったが、聞きなれない“組合立”という、
県境ならではの学校運営について、上田校長からお話を伺った。
やはり、この地域は1つであることが自然だし、
四国州になる際は、その昔の生活圏に形成し直すべき、と思った。
さて、そこから県道332号線をひたすらクネクネと走り、
広見篠山林道で人知れず高所恐怖症を味わいながら、
横吹渓谷を通って、無事、起点の津島町へ帰還。
夜の会合のため、そのまま急ぎ足で宇和島市へ。
いくつもの気づきと知見を得た、
南予の生活現場、視察であった。
同行の皆様に、道々でお話をお伺いした皆様に、
心より感謝、である。
なお。
すべて終えてホテルに着く頃。
メーターを見ると、
走行距離は330kmを超えていた。
朝、予感した通り、体力勝負、の1日であった。
ふぅ~。
(写真:篠山小学校にて。左から笹岡県代表・私・松本宇和島市議。)
2008年07月30日
松前町にて学び、感じる、生きた経済学
午前、弔問参列。午後は、松前町にて
松本ひふみ町議とともに、企業訪問と街頭遊説。
とある社長との対話が、心に残った。
若き日、ご商売を立ち上げた当時の、
ご夫婦二人三脚のご苦労話、だ。
ご主人は、来る日も来る日も、朝から晩まで、
飛び込んで飛び込みまくる、ドブ板営業の毎日。
しかし、なかなか成果は、上がらない。
断られ続け、しょげた顔で帰宅する毎日が続いた。
が、どんなときでも奥様は、ニッコリと、
今日もご苦労様、と笑顔で迎えてくれたという。
そして、有難くも受注を頂いた仕事には、
例えそれが、どんな小さな仕事であっても、
お釣りがくるほどの熱意で、
クライアントにお応えてしてきた、という。
その信頼が信頼を呼び、評判が評判を生み、
おかげさまで現在に至った、のだそうだ。
来し方を振り返り、社長は、いう。
今、こうして会社も大きくなり、
不景気といわれる中、仕事を頂けるのは、
一番苦しかった創業期に、
愚痴も不満も不安も漏らさず、
いつも自分を信じ、励まし続けてくれた、
家内のおかげですね、
と、笑顔で語ってくれた。
奥様の、信念の強さと、
家内のおかげと言える、社長の人格に。
お2人だからこそ、乗り越え、成し得た事業なのだ、
と、深く、心を打たれた。
そして、自分ごとに置き換えると、
私たち夫婦は、まだまだ修行が足らないな、
と、その未熟を思った。
また、次に訪れた経営者からは、
原油高騰によるコスト高の影響を最小限に抑え、
利益を創出されんとする、血のにじむ経営努力の一端を、
お聞かせ頂いた。
例えば、先日の話。
社員全員に対して、
上期の売上・原価の推移を示しながら、
夏のボーナスの原資はこれだけしかないこと、
したがって、支給額を引き下げざるをえないこと、
しかしながらこの局面を乗り越え、業績を回復させれば、
その分を取り戻せるし、必ず取り戻そう、
ということを率直に誠実に訴えた、という。
そして、不服をいう社員は1人もなかった、と。
感動のドラマ、だし、
こうした中小企業によって日本経済は支えられているのだ、
とあらためて、その支援に全力を、と思った。
また、別の経営者からは、
建設業の不振による、連鎖不振のお話があり、
行政の効率化と官製不況の分岐点の微妙に、
由々しさを痛感せずにはいられなかった。
つくづく。
現場に足を運び、
さまざまな分野の経営者から直接伺うお話は、
まさに、生きた経済学、であり、
肌で感じる、実質経済、と思う。
今日の手応えからも、
地方の中小企業は、明らかにマイナス成長、である。
そうした局面の今、増税などありえない話だし、
国がなすべきは、
どうすれば、日本経済は成長できるのか、
という、その1点に尽きるのではないか、と思う。
あらゆるムダの削減・廃止、つまり、構造改革は、
そのための必要条件であり、
日本経済の実質的成長こそは、
社会保障費の受益負担バランス、つまり財源創出にとって、
前提条件、なのだ。
と、経営者との対話に、思った。
そして私自身。
彼らに負けない、血のにじむ努力を、と誓った1日となった。
2008年07月26日
やっぱり夏は、こうでなくちゃ、と野忽那島で
快晴の早朝、息子とともに自宅を出発し、
向かったのは、野忽那島。
いつもご支援くださる皆様とともに、
野忽那島で真夏を楽しむ会、
とでもいうような、
親睦の集いに参加するためであった。
AM7:00、高浜港で雲峰松山市議と合流し、
フェリーに乗り込む。
お約束の、「白いかおりの島へ」が流れる中、
満員御礼状態の船室を横目に、デッキへ上がると、
空と海の間で、潮風に吹かれ、波間に揺られ、
キラキラと反射する海の煌めきを見渡しながら、
最高なんだな、コレが、
と、島育ちの私は思わず、血が騒ぐのであった。
ほどなく、野忽那島に到着。
参加者はそれぞれ準備にあたり、
雲峰松山市議と私は、地元の皆様へのご挨拶に伺った。
今日の集いの主催者お2方にご案内を頂いたのであるが、
ジリジリと容赦なく照りつける日差しの中、
1軒1軒、また1軒と、島のほとんどを、回らせて頂いた。
最初の10軒で汗だくとなり、
最後は、全身ずぶ濡れ状態、である。
この、久々の、アドレナリン全開状態は、
まさに昨年の選挙以来であり、何とも懐かしい心地よさ、だ。
おかげさまで、市政から国政まで、
島の方々の様々なご要望を伺えたし、
この間の私たちの取り組みについても
対話とご説明をさせて頂くことができた。
ご案内を頂いたお2方に、
重ね重ね、感謝を申し上げたい、と思う。
さて、ご挨拶回りを終えて会場に戻ると、
なんと美味しそうな、匂い。
地元でとれたての海の幸、がズラリ、
スイカや桃など夏の幸も所狭し、で。
松本松前町議のご家族たちも合流し、
ここからが、野忽那島で真夏を楽しむ会。
舌鼓を鳴らしながら、打ち解けた雰囲気の中、
歓談がはずむ、はずむ、楽しいひととき。
ほれ、できたで~。
と、大振りでアツアツの、サザエの壺焼きを、
5つも6つも食べたのは中学生のとき以来だし、
噛み切れないほどの、ぶっといタコ天は、
小学生以来じゃないかな、
と、横にいる小学生の息子を見やると、
トウモロコシはいくつも平らげながら、
サザエには手をつけていない。
おしりの渦巻きが気持ち悪いから、
と、ボソッと私に打ち明けるのだが、
私も最初はそうだったことを思い出し、
長い目で、何でも有難く食べられる子に、と思った。
さて、食事の後は、釣り、である。
優しいおじちゃんたちに、
手取り足取り、手順を教えて頂きながら、
初めて経験する、釣りの面白さに
すっかりはまった息子であった。
その釣果は、2匹。アジと、メバル。
遅れて参入した私は、
昔とった杵柄も甲斐なく、カラコゲ3匹。
見事な、完敗である。
と、楽しいひとときは、あっという間であって。
帰りのフェリーが、島の、山の端から見えてきた。
大急ぎで後片づけを済ませ、帰途に着く。
見送る方々と見送られる私たちに降りそそぐ、
昼下がりの灼熱に。
やっぱり夏は、こうでなくちゃ、
と思ったし、
人と人のふれあいは、こうでなくちゃ、と、
英気も新たに、思い返すのであった。
このたびのお世話を頂いた稲垣様・舛久様はじめ皆様に、
心から感謝を申し上げたい。
最高の夏の思い出を、
本当にありがとうございました。
2008年07月25日
めざすはユニバーサル社会、なイベントにて
午後、市内で開催されたえんむすびプロジェクト第2弾、
“アトリエブラヴォが描く松山
~そりゃあ、もう、わっくわくですよ~”
というイベントに参加した。
主催、というか、仕掛け人は、
NPO法人ユニバーサルクリエイトの、佐伯さん。
本ブログで何度もご紹介させて頂いた、熱血漢であり、
何に対して熱いかというと、
ユニバーサル社会の実現に対して、で、
それはどんな社会かというと、
障害の有無や、年齢、性別に関係なく、
すべての人がそれぞれの能力を発揮しながら、
共に支えあう、という社会、だ。
その志において完全に同意する私もまた、
佐伯さんとお会いするたびにヒートアップするし、
その都度頂く、宿題の解決を考えながら、
わが国の、厚労行政の途方もなく大きな壁に、
いつも頭を悩ませるのである。
さて、今回のイベントは、
福岡と松山のアトリエによるチャレンジドの競演、
ということで、
絵画、オリジナルグッズ、手織り製品、皮製品、木工品など、
ユニークでクリエイティブな作品がズラリ勢ぞろい、
の、展示販売のほか、
書道作家「てらきち」さんの書道ライブ、
「愛が和するYUI GREEN」さんと マイ箸をつくろう」ワークショップなど、
前回以上に多彩な内容で、会場は、多くの来場者でにぎわっていた。
あらためて、
チャレンジド各位のクリエイティブセンスに脱帽、したし、
彼らの活躍の場、その能力を発揮できる機会、を拡げることは、
そのまま、GDP増大にも経済成長にも資する、と思った。
障害者雇用促進法によれば、
常用労働者数56人以上の事業主は、
たとえば、民間企業は1.8%、国と地方公共団体は2.1%、
というふうに、
障害者を一定割合以上雇用すべき義務を負うことになっているが、
それができている企業の割合は、
本県の場合、最近5年間でみると、
50%前後で推移している状況であって。
法定雇用率だけでなく、チャレンジドの自立と就労支援に、
もっともっと光を当てなければならない、状況なのである。
そうした、目の前にある厚労行政の、いくつもの大きな壁を、
志を同じくする、あらゆるクラスターをつなぎ、突破し、
必ず、ユニバーサル社会を実現させてまいりたい、と思う。
チャレンジドと、私たち自身と、未来の子どもたちのために。
各アトリエスタッフの弾ける笑顔に、
かえってこちらが励まされるように。
会場を後にしながら、ググッと、心に誓うのであった。
2008年07月24日
それを聴くとこういう風になる、歌のこと
夜、支持者会合に参加させて頂く。底抜けに明るく、楽しいひと時は、
暑さを吹き飛ばすほど、であった。
明確な目的と目標のもと、
心1つに団結した、その意気軒昂たるや、
すばらしい、
という以外なく、
およそすべての会合は、中心者の一念で決まる、
ということをあらためて学ばせて頂いた、
大切で貴重なひと時、であった。
皆様に、心より感謝を申し上げたい。
その会合の中で、久々に、
常勝の空、を、歌った。声の限り。
何それ、という方には、極私的で恐縮だが。
例えば、
それを聴くとこういう風になる、歌、である。
がむしゃらでまっすぐで、不器用で正直で、
青雲の志に燃えた、あの青春時代が蘇り、
たとえ、心が折れそうに大変な状況であっても、
絶ぇーーっ対、負けへんのんじゃー、と闘志が沸き、
涙あふれんばかりに、
人の有難さとか仲間の温かさに感謝が込み上げ、
誓いというべきゴールに向けて、今この瞬間、
前進の気概が満ち溢れてくる、そんな歌、だ。
皆様にも、きっと、おありだろう、
そういう、かけがえのない、歌、
が、あれから20年経ち、
今日聴くとはまったく予想もしない中で、耳に飛び込んできた。
イントロの時点で。
私の中に、
条件反射的化学反応が、起きた。
こういう風になる、とした先述の通り、である。
年齢とか、状況とか、関係あらへんでぇ、
過去も未来も大事やけど、一番大事なんは今、この瞬間やでぇ、
世間体とか立場とか、
よく見られようとか上手くやろうとか、
何をチマチマやっとんねん、
あのときの誓いは、そんなんちゃうやろ、
人生は強気でいかなアカンし、勝負は勝たなアカン、
せやから、誓い忘れたら、アカンねん。
と。
忘れもしない、私の原点は何であったか、ということを
あらためて、
その風景や、匂いや、温度とともに、思い出させてくれた、
ひと時であった。
いざや前進、恐れなく。
明日から又、初心の第1歩を、と思う。
(写真は、久万高原町の、夏空。)
2008年07月23日
8/9から始まる、世界への挑戦
終日、政務。夕方からは、
松山市内にて開催された、
「北京に輝け ビーチクイーン
北京五輪 佐伯美香・楠原千秋選手激励会」、に参加した。
両選手が出場するのは、女子ビーチバレー。
ビーチバレーは、1996年のアトランタ五輪から、
正式種目となった競技で、比較的歴史は浅いが、
最近は、浅尾美和現象ともいわれるほど、
メディア報道がワイドショー化し、過熱していることもあり、
あー、あの水着のバレーね、
と、頷かれる方もきっと多いのではないかと思う。
そういう意味では、華やかな印象を与える競技だが、
おっと、どっこいである。
砂浜で、何かしらスポーツのトレーニングを、
やったことのある人にはお分かりと思うが、
あんな柔らかな足場で、普通は、
走れないし、止まれないし、跳べない。
そんな中で、バレーボールを、
しかも、2人で行うということは、
ボールを拾ったら打つ番、打ったら拾う番、
で、全然休めないじゃないか、
と、こちらが心配するほどに、過酷な競技なのである。
ビーチで普通にバレーボールをやってるように見えて。
やはり、選手たちは、ただ者ではない、
強靭な身体と並外れた運動能力を持ったアスリート、なのだ。
さて、佐伯・楠原ペアに話を戻すと。
今月17日、フランスのマルセイユで行われた、
ビーチバレー女子ワールドツアー第11戦のフランス・オープンで
メキシコのペアを2-1で破り、念願の五輪出場権を決めたのである。
佐伯選手(ダイキ所属)は、2000年シドニー五輪以来の出場で、
6人制バレーでのアトランタ五輪を含めると3度目、
楠原選手(湘南ベルマーレ所属)は、
2004年アテネ五輪に続いて2度目の五輪出場、となる。
激励会の冒頭で、ダイキ㈱大亀会長から、
日本初の、プロビーチバレーチーム・
ダイキヒメッツを結成した当時の秘話、
佐伯・高橋ペアで見事4位入賞した、
シドニー五輪時のチーム強化エピソードなど、
約11年にわたるクラブの歩みが紹介され、
その間の、関係者の並々ならぬご苦労を労いながら、
北京五輪にかける両選手に、力強いエールが送られた。
佐伯・楠原両選手とも、松山出身とあって、
終始、地元の期待と熱気に包まれながら。
バレーを始めて25年、
ビーチを始めて12年の集大成としたい、
との、佐伯選手の決意発表で、激励会は閉幕した。
さあ。
次は、いよいよ世界への挑戦の開幕、だ。
8/9から始まる1次リーグにて、
両選手の、熱戦の火蓋は切られる。
お2人の活躍をテレビの前で、
県民の皆様とともに、手に汗握りながら、
応援してまいりたい。
がんばれ、佐伯選手、楠原選手!
(写真:左が佐伯美香選手、右が楠原千秋選手)
2008年07月22日
人は、人の間にあって人間、を思う
午前、部局折衝。午後、今治市での視察。
そして夜は、
支持者会合に参加させて頂いた。
うだる暑さの中をフル回転、の今日は、
全身に流れるような汗をかき、
心にも大量の汗をかいた1日となった。
正直、すっきりしないことが多かったのだが、
有難いことに、そういうとき私には、
いくつもの、依処、がある。
わかりやすくいうと、駆け込み寺、的存在。
それは、
大阪に、高松に、そして、愛媛にあって、
何でも包み隠さず相談できる、
人生の先輩であり、
ビシッと原点に立ち返らせてくれる、
軌道修正の名人であり、
かといって、
厳しいだけではない、
気持ちと心をポジティブにしてくれる、
励ましの達人であり、
そして何よりも、
欠点多いこんな私を、
最大に理解してくださる先輩方である。
なんと有難いことだろう。
そんなふうに。
人は、人の間にあって人間なのだ、と、心から思う。
さて、帰宅後。
ふと頭に浮かんだ、高松の先輩に、電話してみた。
“おーーー、ほまれちゃん久しぶりー、元気ぃ?”
“えぇ、おかげさまで!先輩こそ、元気ハツラツぅ?”
“あたりまえじゃん、(がっはっは!)”
“ですよねぇ、(わっはっは!)”
と、会話のさわりで、
もう大事な用件は、済んでしまったのである。
20年近くもお世話になっていると、
もう、あうんの呼吸、なのである。
元気じゃないから電話をかけてきていることくらい、
先輩は、百も承知の上、だし、
こいつはオレに電話することで勝手に元気になるヤツだ、
と、きっと思っておられる、のである。
事実、そうだし。
たわいもないといえば、たわいのない、
先輩とのひとしきりの会話を終えて。
すっきりしない1日を、すっきりと、
感謝で終えることができた。
その、すっきり。
辞書で引くと。
わだかまりがなく、気持ちのよいさま、
残るものが何もないさま、だそうだ。
宿題の多い明日も、
辞書の通りに、すっきりと、がんばってまいりたい。
(写真は、今治からの帰り道の、斎灘の、金波銀波。)
2008年07月21日
社会的引きこもり、という次世代問題の喫緊
午後、松山市内にて開催されたKHJ愛媛県こまどりの会定例会に出席。
今日は、その全国組織である、「全国引きこもりKHJ親の会」の、
奥山雅久代表が見えられ、約2時間にわたる、ご講演を伺った。
そもそも私が、
社会的引きこもり、といわれる、この問題の、
根深さと深刻さについて詳細を知ったのは、
彼と埼玉新聞記者との共著である
「ルポひきこもり」(埼玉新聞社刊)によって、であった。
そこには、当事者とご家族の壮絶な苦悩が、
生々しい筆致で描かれており、
(ご参照⇒ http://www.saitama-np.co.jp/main/rensai/kazoku/hikikomori1/osirase.html )
読後しばらく動けないような衝撃を受けたことを、
今もはっきりと、憶えている。
また、「全国引きこもりKHJ親の会」については、
(ご参照⇒ http://www.khj-h.com/ )
奥山代表ご自身が、
引きこもった息子さんとの葛藤を通して、
これは、個人や家族の問題を超えて、
社会問題というべきであり、次世代問題だ、
と、喝破されたところから
1999年に立ち上げられたものであり、
現在では、全国42支部6,410家族に広がっている。
さて、
講演について、だが。
終始、
謹厳、というべき緊迫した空気に包まれた。
冒頭、奥山代表から、
皆さんにお願いがある、として、
“この問題をわが家の問題だけ、とするのではなく、ぜひ社会のために、
次世代のための問いかけとして、活動に取り組んでほしいのです”、
との、メッセージがあった。
その意味の強烈は、
きっと彼にしか発信できないものであったろう。
ガンで全身を蝕まれ、財産もすべて投げ打ち、
残された人生のすべてを賭けて、
社会的引きこもり問題の解決のために、
全国をかけめぐり戦われる奥山代表の迫力に、
2時間は、あっという間だった。
私の手元にある講演メモは、20ページを超えた。
今、全国で。
社会的引きこもりの人口は、約100万人といわれているが、
その長期化すなわち、当事者と家族の高齢化と、
拡大再生産的に純増推移しているところが、深刻の本質、
と彼はいう。
そして。
これが200万人に膨れ上がる頃には、もはや日本は、
経済的にも、社会的にも、立ち行かなくなる、
それでは遅すぎる、と、警告を発し、
待ったなしの、官民挙げた取り組みの必要性を、説く。
当事者を調べたKHJと医療機関による分析結果からも、
社会的引きこもり問題は早期対応が極めて重要で、
長期化するほどに2次、3次障害を誘発し、
当事者が廃人化する可能性が高まる、のだそうだ。
個人にとっても、日本にとっても、
存続の危機ともいうべき喫緊の事態に、
したり顔で情緒論を語る学者も、
腰の重い政治家も、行政も、その体たらくを一喝され、
さらには、
世間体を気にして思い切れないご家族に対してまでも、
厳しいアドバイスが、続いた。
胃がキリキリと痛むほどに、強烈な講演、であった。
次回の、9月議会。
4回目の質問に立つ私の、なすべきは決まった。
奥山代表と、KHJ愛媛県こまどりの会の、
皆様の思いを代弁させて頂くこと、と共に、
この、社会的引きこもり問題解決を、
1mmでも具体的に、前進させること、だ。
そのための準備を、
今日より進めてまいりたい。
そして、もっともっと現場に足を運び、耳を傾け、
当事者各位の心に飛び込んでまいりたい、と思う。
(写真は、身ぶり手振りも迫真の、奥山代表の講演風景。)
2008年07月20日
高山良二さんと、カンボジアに、学ぶこと
午後、松山市内にて。第20回松山ヒューマンネットワーク講演会、に参加した。
同ネットワークの稲田代表によると、
12年前、地元同級生が集まった際、
40歳になったのを機に、何か社会貢献ができれば、
との思いから会を立上げ、
毎回多彩なゲストをお招きしながら、
今回、第20回を迎えることになった、そうだ。
その絆と、取り組みの持続に敬意を表したい、と思った。
さて、今日の講演会は、
『種になりたい~地雷原の村で自衛官OBが見つけた第二の人生~』
と題して、地元愛媛出身の、知る人ぞ知る、
日本地雷処理を支援する会(JMAS)・高山良二さん、が講師であった。
(ご参照⇒ http://www.jmas-ngo.jp/page/ehimesibutop.htm )
高山さんのご活躍は、かねがね存じていたが、
見聞きするのと直接感じるのは、まったく別だ、ということを痛感した。
ご承知の通り、
カンボジアを始めとした世界各国で、
戦後の後遺症といわれる地雷と不発弾の爆発音が、
今も、鳴り響いている。
そして。
親を失い、手足を飛ばされる人々が、後を絶たない。
そうした現状に対して、地雷等の不発処理に取り組むのがJMASで、
カンボジア地雷処理専門家として活躍されるのが、高山さんである。
地元では、尊敬するお父さんの意味で、ター、と呼ばれるその風貌は、
命がけの職場を感じさせないくらいに、柔和で穏やかであった。
そのアンバランス以上に、話はもっとサプライズだった。
全部を紹介しきれないが、一部だけご紹介すると。
彼が実践しているのは、住民参加型地雷処理活動、である。
普通、そんな危険な活動に住民を巻き込むのはどうか、
と考えられがちだが、逆に住民参加型スタイルをとることで、
助ける側と助けられる側、ではなく、共に助ける側として、
共同と自立の精神性を伝えたいというのが、その理由だそうだ。
それくらいカンボジア人は。
あまりにも大らかで、人を疑わない国民性、なのだそうだ。
そんなエピソードとして、井戸の話をされた。
日本の支援機関・団体から、たくさんの井戸が贈呈されたが、
井戸は、常にメンテナンスされないと、枯れてしまうものだ。
最初はもの珍しさから、井戸の周りに人が溢れたが、
少し具合が悪くなると、修繕の仕方を教わるのではなく、
それを捨て、みんな新しい井戸へと移っていくのだそうだ。
結局、60機贈呈された井戸の多くは、枯れてしまった。
だから、
彼らの精神に自立心を喚起させることが、より重要なのだ、と。
高山さんは、日本の支援機関・団体に対しても、
贈りっ放しは自己満足にすぎない、と、そのことを訴える。
贈った後、その支援によって、彼らと、かの国がどうなったか、
というところまで見届ける、愛情と責任を、ぜひ持ってほしい、と。
それにしても。
あまりにも長きにわたる軍事政権と、
内戦から解放された、カンボジア人たちは、
500万発ともいわれる危険な地雷・不発弾の隣り合わせで、
また、いろんな物資が足りない中で、それでも、
戦争がない今は幸せです、
と、
私には世界で一番輝いて見えるほど、
満面の笑顔で、答える(写真)。
たしかに、
日本は“豊かな”国、かもしれない。
でも、
“豊かな人”の国は、むしろカンボジアの方だ、
と、思った。
高山さんの講演の主題も、そこにあった。
日本人よ、心に風船を、と彼はいう。
風船を膨らませるものは、日本人が本来持つ優しい心だ、と。
少しだけ他人を思いやる心、あるいは、惻隠の情。
凶悪事件が耐えない今の日本社会は、
1人1人の中にかつてあった、そんな心の風船が、
しぼんでしかも、放置されてしまったからではないか。
政治は、一生懸命、枝葉を直そうとしているにすぎない、
幹を直さないとダメ、と彼はいう。
優しい心を、もう一度、国民1人1人に吹き込まない限り、
日本という国そのものが、枯れてしまう、と憂う。
国際貢献を通して彼の目に映る、
現在と将来にわたる日本の憂いが、
政治に携わる1人として、
心に迫り、胸に響き続けた。
人生をかけて、現場に立ち続ける人の言葉は、重い。
聞きっ放しでは決して済まされない、
私にできる責任の果たし方は何か、
ということを考えながら、帰途に着く。
また1つ、大きな宿題を頂いた講演会に、心より感謝、である。
(写真は、そのスライドを見た瞬間、世界で一番美しい、と感じた、
カンボジア人母子のとびきりの笑顔。)
2008年07月19日
久万高原町で、すっかり、こんがり、トースト色
早朝、久万高原町へ向かう。今日は、街頭遊説の、日。
いつもの小鳥のさえずりに加え、
セミの鳴き声が、シャワシャワとにぎやか、だ。
キンチョーの夏、日本の夏、
というCMが、かつてあったが、
セミこそ、日本の夏、である。
まだ私が小学校の低学年だった時、
セミから、命の不思議、を学んだことを思い出す。
当時、私の家の周りは、みかん畑だった。
梅雨が明ける頃、土の中のセミの幼虫が、
夜半ぞろぞろと、木に登ってくる光景を観察した。
示し合わせたかのように、一斉に、である。
不思議、だった。
そして、登ってきた幼虫を手に取ると、
薄茶色で、怪獣のような格好をして、しかも柔らかい。
面白くって、納屋にあったいぐりを持ってきて、
取れるだけ取って、家に持ち帰った。
辺り一面、いぐりから這い出した、ニイニイゼミや、
クマゼミや、ツクツクボウシの、幼虫だらけになった。
そして、朝、その鳴き声のやかましさで目覚めた。
部屋中、♪セミ、セミ、セーミ、ミー、だ。
そして、柱に無数の、抜け殻。
窓を開放すると、たちまち、勢いよく空へ飛んでいった。
セミを見ながら、父親は言った。
“セミはのー、土の中で7年くらい過ごしての、
たった1晩で、成虫になっての、
あと、1週間くらいしたら、死ぬんじゃ。”
げっ。
何も知らない私は、
セミは、普段はどこかに隠れていて、
夏になると出てきて鳴くもの、
とばかり思っていた。
あと1週間で、死ぬ。
本人、知ったらどんな気がするじゃろか。
かわいそう、
と、命の尊さを、幼心に知ったのである。
そんなことを思い出しながら聞くセミの大合唱は、
まさに命の謳歌。
生きる喜びを精一杯、おもいっきり、表現しているのだ。
セミの話が、長くなりすぎた。
AM9:00。
地元党員の皆様とともに、三坂峠にて第一声。
私からは、先ごろ閉幕した通常国会における、
公明党の取り組みと実績についてお訴えする。
学校耐震化の促進、クラスター弾全面禁止条約の批准、
クールアースデーの創設、国家公務員制度改革など、
そして、党員の皆様には、
長寿医療制度の改善内容などについてご報告を頂いた。
間違いなく、今日は猛暑日、と9時の段階で確信したが、
まさに、その通り、となった。
体感温度がグングン上昇する中、私たちは、
県下随一の広大な町を、計11ヶ所、回りに回った。
そして、語りに語った。
セミに、負けないように。
たくさんの方のお手を振っての応援が、
夏の日差しとともに、眩しく感じられた。
なかんずく。
猛暑にも関わらず、汗まみれになりながら、
同行頂いた党員の皆様に、感謝が尽きない。
いつも本当にありがとうございます。
そんな、帰り道。
車のバックミラーに映る私の顔は、
すっかり、こんがり、トースト色になっていた。
2008年07月18日
この夏、に決意したこと
午後、党会合。夜、支持団体会合へ参加。
連日のメディア報道の通り、
いよいよ政局の焦点は、次期衆院選、となった。
特に。
小選挙区に候補を抱える各党とも、
既に臨戦態勢を整え、活動が活発化している。
私たち公明党も、負けるわけにはいかない。
私自身、この夏。
1人でも多くの方とお会いして、
1人でも多くの方と対話を進めてまいりたい。
その意味で、
今日の終日にわたる会合は、重要であった。
何のため、という原点を再確認させて頂いたからである。
選挙は、勝負、だ。
わずか1票差でも、負けは負け。
冷徹なほど、峻厳である。
だから、勝たねばならない。
が、選挙に勝つことそれ自体が目的ではない。
選挙に勝って、何をするのか、にこそ目的がある。
私たちは、生活者の声を代弁し、政治に反映させることで、
庶民が、当たり前に、普通に、暮らせる世の中にしたい、のだ。
普通に子どもを産めて、安心して子育てができて、
きちんと教育を受けられて、働けて、休めて、
病気になれば治療も受けられて、
災害や困難は助け合って乗り越えて、
ご飯は3度食べられて、趣味も文化も楽しめて、
安心して老後を過ごし、人生を全うできる、
そんな普通の生活を誰もが営むことができる、
日本とわが地域にしていくこと、これが目的である。
それが、現実は、そうなっていない。
そんな庶民の、
慎ましいとさえ言うべき、普通の願いを、
政治家も中央官僚も、全然わかっていないどころか、
まったく逆じゃないか、
というのが、多くの国民の声であり、
臨界点にまで高まった、今の政治不信の本質であろう。
私たち公明党は、
そうした多くの、庶民の声を代弁するために、存在し、
そのために働く、議員集団である。
1人でも多くの庶民の声を代弁し、
1つでも多くの政策を立案・実行し、
そして、
1人でも多くの生活者満足につなげる。
換言すると。
1人の声に始まり、1人の満足に帰す、
その間のすべてが、私たちの仕事であり、
その仕事の大きさは、
有権者の皆様のご支持の大きさ、
つまり、選挙で決まる、のだ。
政治は数、数は力、と、昔から言われるが、
まさに、選挙は、政治に力を与える手段である。
その手段は、有権者に与えられ、
有権者は、誰に、その力を与えるか、という権利を有する。
庶民が、当たり前に、
普通に、暮らせる世の中にしたいから。
その、1人でも多くの皆様に対して、
私たちは、対話、を重ねてまいりたい。
そうなっていない現実の1つ1つに、このように取り組みたい、
ということを、お話し、お伺いさせて頂きたいのである。
折りしも、高校野球の地方大会はクライマックス。
彼らの全身全霊をかけて戦う、あのひたむきな姿が、
それが勝っても負けても、私たちの感動を誘うように。
私も、この夏、ひたむきに対話に挑戦してまいりたい、と思う。
(写真は、久万高原町・西谷にて、清涼と癒しの、清流。)
2008年07月17日
社会貢献活動、を考える
この日は終日、県民相談。そのうちの、
とある壮年経営者との対話にて、
“社会貢献”をテーマに、話が盛り上がった。
ちなみに、
グーグルで“社会貢献”を検索すると、ヒット数は766万件。
あくまで目安、だとしても、
国民の関心は決して低くないし、
確かに、身近で、
そうした取り組みが増えてきているな、と感じるにつけ、
その広がりと高まりには、
“時代の意思”みたいな力を感じてならない。
さて、社会貢献、である。
その活動範囲は、
個人単位で行われるボランティア活動から、
企業が行う慈善事業や寄附活動、また、
特定事業を目的とした、NPOやNGOなどの非営利活動など、
あまりにも広く、かつ、国際的な沃野となっている。
が、新旧大小、どの社会貢献活動にもいえることは、
その出発点が、
困っている人たちの力になりたい、お役に立ちたい、
という意思、だ。
振り返ると、
いつからか、社会活動というのは、民と官の二元論になっていた。
民間、と、行政。
つまり、
社会的ニーズの実現は、基本的にマーケットメカニズムに委ねる、
とし、資本主義のルールに則った、民による活動と、
ビジネスではリターンが見込めず提供できない社会的ニーズは、
公共財・サービスとして行政が担うべき、とした、官による活動と。
ところが、である。
私が今、感じるのは、
最近の社会貢献活動の多くが、
民でもなく、官でもない、
あるいは、民ともいえ、官ともいえる、
その二元論の“間”に存在し、広がっている、
ということ、だ。
そこに、
先ほど述べた、“時代の意志”を感じるのであった。
したがって、
社会の利益に資する社会貢献活動は、
従来の、民と官に続いて、もう1つ、
有志、を加える必要がきっとある、のだ。
言い換え、つけ加えると、それはほんのちょっと昔、
それぞの地域や社会に、厳然と、あった。
コミュニティとしてのセーフティネット、だ。
今、時代は新たなカタチで、
それを取り戻そうとしている、と思えてならない。
どんな社会貢献活動も、その出発点は・・・、
と、先ほど述べた通り、ある志、から始まる。
民にも官にも、まだ顕在化していないけれど、
そこに確かに社会的ニーズまたは課題がある、と感じ、
その実現や解決を志す人たちが、
自らの取り組みで、それをサポートしよう、
そうした、志、である。
その志のもとに人が集まり、取り組んだ活動が、
社会から満足され評価される、そこを目的とした社会貢献活動。
壮年経営者の方との対話から。
これからの政治は、
今まであまり光の当たらなかった、
この第3ともいうべき、
有志、の領域に、スポットをあて、
その社会貢献活動インフラの整備と強化、
そして、点ではなく、
面としての連携機能のしくみ化、に取り組まねばならない、
そんな意を強くさせて頂いた。
壮年経営者の方の志、の実現への尽力を含め、
やはり、知恵は、いつも現場にある、と思った。
ひとときの貴重な対話に、心から感謝申し上げたい。
(写真は、久万高原町の、美しすぎるほどに、青い空と白い雲。)
2008年07月16日
今治にて、党員会に参加して
一昨日の、久万高原町に続いて、夜、今治市を訪れ、党員会に参加させて頂いた。
本日の開催地である、
公明党・石井今治市議のお膝元・立花地区は、
高校時代、泉川町に住んでいた私にとって、
完璧に、その行動圏内にあたるエリアで。
今もそうだが、
郷橋あたりを通過すると、
頭の中にいつも、
ゴダイゴの“ビューティフル・ネーム”が、鳴り響くのである。
名前/それは/燃える生命/
ひとつの地球に/ひとりずつひとつ
なんという、詞の深さ、だろう。
万一にも、
地球について思いを巡らせることなどなかった当時、
燃える生命など知る由もなかったが、
それでも毎日が燃えるように、無条件で楽しかった。
話が逸れた、ので戻すと。
完全に、まだ日が差す19:00。
平日にも関わらず、
多くの党員の皆様が駆けつけてくださった。
私たちを、
わが事として支えてくださる方々である。
私たちが、
その思いを、責任をもって代弁すべき方々である。
いずこの地の、いずれの党員会にあっても、私は、
ただただ、感謝と敬意が込み上げてくるのである。
だから、矢野絢也は許せないのである。
この部分の理論と感情については、
公明党茨城県議会・井手議員のHPに尽くされており、完全に同意する。
(ご参照⇒ http://blog.hitachi-net.jp/archives/50234052.html )
そうしたことも含め、私は、
先日の、公明党四国夏季議員研修会の報告からお話をさせて頂いた。
北側幹事長の獅子吼、を何としてもお伝えしたかったし、
私たち議員の決意を、皆様にお届けしたかったのである。
熱心にメモをとってくださる皆様の姿にまた、感謝が込み上げる。
そして。
たっぷりすぎるほどのお時間を頂き、
自身の1年あまりの議員活動について、ご報告させて頂いた。
生活現場主義を標榜し、ネットワーク政党を自認する、
私たち公明党の価値についての、いわば、体験談であった。
はたして皆様には、どのように届いただろうか、
と思う前に、
今日お届けしたかった思いはすべてお訴えできたか、
と、自身に問う。
できました、拙いですけど。
ならばよし、と心の中で自答した。
すっかり日の落ちた夏の夕暮れに、
お1人お1人を、最後までお見送りしながら。
今日お集まり頂いた皆様の思いの代弁を、
今後とも自身の責任として全うすることを、
あらためてお誓い申し上げるのみ、
なのであった。
(写真は、3日前に行われた議員研修会での、北側幹事長。)
2008年07月15日
サイエンスを全うされた物理学者の生き様を、思う
文藝春秋8月号にて。がん宣告「余命十九カ月」の記録、と題した、
戸塚洋二氏と立花隆氏の対談記事、を読んだ。
が、
この時点で、戸塚氏は鬼籍の人となられており、
発売直後の記事は、まさに彼の“遺稿”、なのであった。
痛惜を、禁じえなかった。
戸塚氏は、知る人ぞ知る、物理学者であり、
ノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊博士、の弟子であり。
1998年、師匠である小柴博士の後を継いだ戸塚氏は、
奥飛騨「スーパーカミオンデ」で、ニュートリノの質量観測に成功する。
それは。
従来の物理学の前提を覆す、画期的な大発見と賞賛され、以来、
ノーベル賞に最も近い物理学者、受賞は時間の問題、といわれてきた。
しかし、皮肉にも、
時間の問題となったのは、自身の命の長さのほうだった。
戸塚氏は、記事の冒頭で、語られた。
「 私のがんは残念ながら立花さんとちがって全身に転移して、
もう最終段階に来ています。でも、研究者という職業柄、
自分の病状を観察せずにはいられない。
今日は私の体験をもとにがん患者の方々に少しでも
アドバイスになるお話ができたらと思います。」と。
サイエンスを極めた彼の生き様の、なんという、凄まじさ。
「 私にとって、早い死といっても、
健常者と比べて十年から二十年の差ではないか。
みなと一緒だ、恐れるほどのことはない。」
葛藤を超克したその境地に、
限りない敬意と感動を覚えた。
結果的に遺言となった、
いくつかを紹介すると。
「 患者にとっては、(がんと)なれ合ったって一向にかまわんのですよ。
闘うのではなく、もう少しゆるやかに余命を延ばす方法を研究してほしい。」
「 医療界にお願いがあります。
がんのデータベースが是非必要だと思うんです。
骨への転移が見つかったとき、私が是非知りたいと思ったのは、
転移はさらに進行していくのか、転移した他の場所も痛くなっていくのか、
骨折の恐れがあるのか、といったことでした。
患者のこうした疑問に答えるデータベースがほしい。」
がん医療界に対する、最高峰の科学者の、最後の言はそのまま、
政治に身を置くものとして、深く受けとめる義務と責任がある、のだ。
途中、こんなくだりがあった。
最近まで知らなかったのだが、
死を前にした正岡子規が、こんなことを言っていると。
「 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」
なるほど、平気な顔をして死ぬのもすごいことだが、
どんな場合でも平気で生きているのはすごいことだ、と。
人間が生きることの意味を、かみしめずにはいられない。
人間の、使命の重さと有難さを、感じずにはいられない。
最後までご自身の命と向き合い、サイエンスを全うされた
戸塚氏のご冥福を、今一度、心よりお祈り申し上げたい。
2008年07月14日
高知のがん対策に、学ぶ
早朝、県民相談が2つ。対応を講じながら、高知市内を移動する。
AM10:00。
笹岡県議とともに、高知県庁へ到着。
同県のがん対策の取り組みについての視察、
が、この日の目的であるが、
まずは、
本会議開催中のご多忙にも関わらず、
ご対応を頂いた健康保健福祉部の皆様に、
あらためて感謝を申し上げたい、と思う。
さて、わが党の推進により、2006年に、がん対策基本法が成立し、
(ご参照↓
http://www.komei.or.jp/policy/results/health/detail/02.html
http://www.komei.or.jp/policy/results/health/detail/12.html
http://www.komei.or.jp/policy/results/health/detail/18.html )
それを受ける形で、
都道府県にがん対策推進計画の策定が義務づけられたのだが、
高知県も本県同様、昨年度内で、計画が策定されていた。
本県と異なるのは、同時に条例まで作られている点、だ。
高知県がん対策推進条例、である。
そして、同条例は、
がん対策推進協議会を、同条例内に位置づけ、
協議会中心に、県の計画を推し進めていく、
ということを規定している。
ちなみに。
その協議会の中には、医療従事者を含む関係者以外に、
患者・家族・遺族の方々が、きちんと含まれている。
この意味は、大きい。
本県も学ぶ必要がありそうだ。
そうした行政の前向きに引き上げられるように、
高知県民の、がんに対する意識は、高い。
例えば、
昨年12月に行われた、第1回高知県がんフォーラム。
県民の視点に立ったがん対策推進を目的に、
がんの予防、治療、緩和ケア等の情報を、
多彩なゲストとプログラムにより、幅広く提供したイベントだが、
700名を集め、盛況裏に終了したという。
患者、ご家族、医療関係者以外に、
一般参加者が約3割を占めた点も、十分、驚きに値しよう。
さて、
県庁でのレクを受けた後、
私たちは、がん相談センターこうち、の視察に移動した。
(ご参照⇒ http://www.pref.kochi.jp/~kenkou/cancer/advice.html )
特定非営利活動法人 高知がん患者会一喜会、
の運営による同センターは、
県から委託された、がんに関する民間相談窓口、であり、
がん患者・ご家族の療養上の不安解消を図るとともに、
がん診療連携拠点病院、関係団体等と連携し、
がん医療に関する情報を、広く県民に提供することを、
その活動目的としている。
同センター長であり、一喜会会長の、安岡氏から話を伺った。
安岡会長は、自分の娘がスキルスがんになって初めて、
わが国のがん治療体制が、患者本位でないことを痛感したという。
医師から、娘さんの余命は1年と見立てられた。
治療法はないと言われ、医師はそこから先の希望を与えてはくれなかった。
ならば、娘を助けるために、自分が勉強するしかない、動くしかない、と、
すがる思いで治療法を探し、専門家を訪ね、全国を駆けに駆けた、そうだ。
そうして、気づけば。
がん難民、といわれ同苦する方々が自分たち以外にも沢山いることを知り、
その方々の灯台になろうと、今の活動につながった、という。
安岡会長の娘さんは、その間、お子さんを出産し、
9年経っていた今も、元気に活躍されているそうだ。
これは、冤罪で死刑宣告をされたのと、どこが違うのか、
との安岡会長の言葉が、今もなお耳から離れない。
医療サイドの改革と、患者サイドの満足度向上は、表裏の関係で、
かつ、持ちつ持たれつの関係、と。
そして、それをブリッジさせるのは、議員の仕事、
と明確なご指摘を頂き、衝撃的に、認識を改めさせられた。
その他にも、四国内連携の必要性をはじめ、
数々のアイデアとサジェッションを頂いたが。
いかに現場に立つことが大事で、
当事者の側に立つことが重要か、
あらためて教えて頂いた気がする。
本県のがん対策の前進に、必ずつなげていこう。
高知での視察を終えた、夕方。
夜、党員会が開催される久万高原町に向かいながら、
強く、決意した。
(写真は、悠然とそびえる、高知県議会初代議長・片岡健吉氏、の銅像。)
2008年07月13日
年に一度の、成長の節、とする日
まだ、6時前。最近、目覚めるのが早くなった気が、する。
ひと通り準備を整え、ホテルを出発。
会場への道中、24時間ファミレスにて朝食をとった。
日曜日の7時台だが、客席は、まばらに埋まっていた。
若者もいたが、3組の高齢者グループには、頭が謎めく。
と、そんな場合ではない。
どんな場合かというと。
このあと開催される、年に1度の、
公明党四国夏季議員研修会の中で、
四国各県から1題づつ活動報告があるのだが、
愛媛県を代表して、お前やれ、と出番を頂戴したのである。
しかも、目先の変わったのを頼むね、のオマケつき、だ。
頼まれればイヤとはいえない、というより、
何事もこれは訓練、と思ってしまう私としては、
合点承知の助、
とばかり、この間、密かに推敲を重ねてきたのであった。
が、昨日はお付き合いもあり、
リハーサルがまったくできておらず、
やおら、ファミレスで、時計を外して、
スピーチを小声でヒソヒソやっては赤を入れ、
制限時間5分の話の流れを頭に入れていた、
という場合だったのである。
大体いいだろう、と、お勘定を済ませ、会場へ移動すると、
まず、設備を確認した。
あるべきものがなかったりもしたが、
そういうこともあろうかと機材を持参して正解だったし、
早めに到着したから、あちこち走り回ることもでき、
ホテル側のご協力にも助けられて、スタンバイ完了、である。
と、続々、四国各県からの参加者が会場に詰め掛け、
定刻11:00に研修会はスタートした。
四国選出の、
石田のりとし衆院議員、山本ひろし参院議員、の姿も見える。
党本部からは、北側幹事長も駆けつけられた。
今日は、この後、大阪、東京と、3つの会合をかけもち、なのだそうだ。
なんという過密スケジュール、だろう。
わずか2時間足らずの滞在時間だったが、
次期衆院選大勝利への決意と気迫を激烈に語られ、
許される時間のほとんどを、
参加議員各位からの質問・要望に充て、丁寧に応えられていた。
その他の詳細は割愛させて頂くが、
年に1度の、そして私にとって2度目の、この夏季研修会は、
まさに議員としての成長を刻む“節”であろう。
昨年は、太田代表が来られた。
そのときのスピーチが忘れられない。
議員は庶民の手足となって働き抜いていこう、
私は、地方議員の皆様の手足となって戦う、と。
あれ以来、念頭から離れることがない、これが“節”と思った。
今日の北側幹事長の話もまた、“節”となっていくに違いない。
会合全体を通して、
目標も明確、エネルギーも満タン、となった。
さあ、やらんかな。
振り向くと、どの顔も、そう書いてあった。
ところで。
自身の活動報告の結果を、綴りそびれてしまった。
が、
思った以上の稚拙と未熟に身の縮む思い、であり、
綴るのも憚られる、というのが実際のところ。
かろうじて評価を頂けるとしたら、それは、
制限時間に忠実、というルール遵守の点においてのみ、だったろう。
それもまた、人生の“節”として刻めるよう、
新たな精進を、今日より開始したい、と思う。
(写真は、私の活動報告風景。)
2008年07月12日
人生、一生、訓練
快晴の午前、市内和気町にて開催された、
松山港海岸(和気・堀江)整備工事完成式、
に出席。
低地帯に住宅が密集する同地区周辺は、
台風シーズンが来るたびに越波被害を受けており、
かつ、年々、海岸線が後退する傾向にあって、
海岸の防護機能が低下していた、のである。
高潮対策が急務であったところ、
2000年度に国の直轄事業として認められ、
2002年度の工事着手から8年、
このほど完成、引渡しとなったのである。
それにしても、見事な白砂青松。
高潮の防護を目的としながらも、
地域の前庭的な渚を目指した、
というだけあって、
実に素晴らしい景観、だ。
総工費、約50億円。
その投資に対するリターンは住民の大いなる知恵で、
とは、ある来賓のご挨拶。
スピーチ全体は、さすがを思わせたが、
そこだけは、違和感を感じてしまった。
今回の海岸整備は、まさに、公共財としての資源配分。
つまり、ビジネスではできない役割を担ったものであり、
防護人口4,000人の生命と財産の保全を、
1人あたり125万円かけて整備した、ということであろう。
リターンの話は、この場面ではなく、
その125万円が妥当なのかどうか、
直轄事業認定前にすべき議論であって、
当然、クリアしていると思うのだが。
ともあれ、
本当に素晴らしい海岸が、できた。
晴れ渡る空、流れる雲、寄せる波音、そして、夏。
カップルで、ご家族づれで、
ぜひ1人でも多くの皆様にお越し頂ければと思う。
午後は、県民相談。
山本ひろし参議院議員とともに、
松前町・砥部町を訪れる。
それぞれの方のご要望を、
丁寧に伺いながら、励ましながら、
誠実に対話を続ける山本議員の隣で、
その、メモの取り方までも、私は注視し続けた。
ははぁ、
と気づかされることが多々あったが、これは企業秘密、
というより、気恥ずかしいだけである。
生きた勉強、を、心から有難い、と思う。
県民相談の内容はいずれも、私にとって後日の宿題となった。
勉強が生きるように、取り組んでまいりたい。
終了後は、その足で、高知へ移動となる。
明日開催の、公明党四国夏季議員研修会準備のため、だ。
道中。
新人の訓練として、先輩から与えられた明日の大役を、
ちゃんと果たせるか、大丈夫か、と早くも緊張してきた。
この緊張もまた、訓練、ということだ。
人生、一生、訓練。
ふと、そんな自分向けの、ナイスなコピーが浮かんだ。
(写真は、松山港海岸整備工事完成式の、くす玉開披の瞬間。)
2008年07月11日
地域の思いから出発する、地域改革
見出しは、低調だった県立高再編議論―――。
今朝の地元紙は、
そのように、6月県議会を振り返った。
記事によれば。
『 今議会は、定例会が年4回になった1956年以降、初めて支出予算案がなく、
県立学校再編は最大のテーマになるとみられた。 』
私も、である。
そこで、
『 県民の声を代弁する議員がどう反応するか注目されたが、
議論は低調で議会の存在感を十分には発揮できなかった。
・・・物足りなさは否めなかった。 』
とし、県議会の一員としては忸怩たる思いがしたが、
『 文教警察委員会ではやや活発で、木村誉氏(公明・新政クラブ)が、
「地域では今後への不安や、やるかたない感情が広がっている。
住民や当事者の声から出発しないと取り返しがつかないことになる」
と警告し、自民や民主の委員からも配慮を求める声が上がった。 』
というくだりには、思わず、
低調とする評価に一矢報いた感を覚えた。
ここで私が、理事者に問うたのは、
当事者に対する誠意、であった。
それぞれの地域で、どんな方々から、どのような意見を伺い、
どういうルートで把握し、どのように受け止めたのか、と。
記事は、書く。
『 県教委は、計画案は再編対象校の校長や関係市町教委の意見を
参考に取りまとめており、当事者の意見をある程度反映したものだとして
理解を求めた。 』
とても残念、だった。
ので、
つい、まくし立てるように述べさせて頂いた。
たくさんある選択肢が1つ減るのと、
1つしかない選択肢がゼロになるのとは、全然、意味が異なる。
10年前に比べて、中学校卒業者数が約4割減という状況を、
それぞれの地域は、どのように受けとめ、何を合意するのか。
もし、1つしかないわが地域の高校をどうしても残したい、
様々な意見を集約した結果、それが、地域の総意とする。
そしたら、何としても生徒数を確保せないかん、
そしたら、ここで食べていけるだけの経済活力が問題となる、
裏づけとなる経済の再生が必要だが、与件は厳しい、
が、例えば、わが地域の主力産業は林業だから、
5年計画で何か新しい取り組みを開始しよう、
行政と組んで何かできないか、民間で新規プロジェクトを立ち上げられないか、
そうした人材を全国から集めよう、
それなら高校にも、森のマイスター養成科を新設してはどうだろう、
地産地消ならぬ、人材の、地産地育でいこう、
そのために県にも、国にも協力をしてもらおう、
というふうに。
当事者、地域の思いから出発すると、そこに自立と主体が生まれ、
それは試行錯誤を通して巨大なエネルギーとなり、知恵を集め、
やがて、地域改革へとつながっていく、と私は思っている。
大事なことは、当事者との合意形成、だ。
統廃合は、その結果であろう。
記事は、次のように締めくくる。
『 「8月の最終決定までに県民の意見、要望の把握に努める」
との県教委の答弁が実を伴うものになるかどうか、
県議会は住民の立場からしっかりチェックしていく必要がある。 』
その通り、なのである。
2008年07月10日
6月議会閉会と、ロシアのことと
6/24開会した第307回定例会、いわゆる6月議会が、本日、閉会となった。
補正予算を組まない6月議会は、52年ぶりという。
このことが何を物語るかというと、
私が生まれる遥か前から、
当たり前のようにやってきたことが、
もはや当たり前にできなくなった、
ということである。
ある人は、これを異常事態といい、
ある人は、財政事情を考えれば当然という。
どちらも正しいに違いない。
しかし、だからといって、
論戦を低調に終わらせてはならないのであって。
ちなみに、
今議会開会前と初日に、私は次のように綴った。
「県政チェック機能としての、今議会の質問戦は、
各会派・議員諸氏が、どの分野にどのように踏み込むか、
そして、各種委員会では、
議員個々人が、所管事項の何を取り上げ、どう切り込むか、
まさに、日頃の政務活動の視点と中身が問われそうで、
大いに注目したいし、私も万全で臨ませて頂きたい」、と。
総括は、明日の地元紙に譲りたいと思う。
午後、北方領土返還要求愛媛県民会議、の
第32回定期総会及び記念講演に出席した。
同会議は、
文字通り、北方領土返還を目的として、
その促進のための啓発事業を行う民間団体で、
全都道府県に設置されている。
定期総会にて議案審議を粛々と終えた後、
袴田茂樹教授(青山学院大学)による記念講演が開催された。
タイトルは、「ロシアにおける2頭政権と日ロ関係」。
非常に興味深い内容だったが、
私は極めて重要な示唆を、1つ、得た。
それは、ロシアに関する知見がほとんどない、こと。
北方領土は日本固有の領土である、
それくらいは知っている。
が、
その根拠となる歴史的事実や背景を述べよ、とか
ソ連時代からの日ロ交渉の経緯を説明せよ、
とかいわれると、
お手上げであって、ダメじゃないか、と
先ほどの感想が頭から離れないのである。
考えてみると、この問題。
北朝鮮による拉致問題に似ている。
いずれも。
国家主権に関わる重大な問題であること、なのに、
誤解と偏見がかって、なかなか理解が進んでいないし、
国民がシンパシーを共有するまでに至っていない、
言い換えると、その関心の低さ、において。
幸いにして私は、拉致議連という、場、の触発により、
拉致問題の本質に触れることができた。
ブログにも綴ってきた通り、これからも闘い続ける決意だ。
一方、この北方領土返還問題については、
たくさんの資料とともに、大きな宿題を持ち帰ることとなった。
北方領土返還のために、私がなすべきことは何か。
的確な判断と実践のために、しっかり研鑽を積んでまいりたい。
ロシア問題の権威といわれる袴田教授の主張から、
その不倶戴天の敵といわれる佐藤優氏の主張まで。
ロシアのことを、もっと知らねばならない。
日本に身を置く、1人の政治家としても。
ロシアと縁の深い松山に身を置く、1人の市民としても。
痛感するのみ、であった。
(写真は、青山学院大学・袴田教授の記念講演風景。)
2008年07月09日
中小企業家魂と、電通鬼十則
スゴイ中小企業が、ある。売上高20億円あまりの町工場にして、
利益率40%で、借入金ゼロ。
その会社は、
株式会社 エーワン精密。
工作機械用の、
金属部品の製造販売、の会社である。
日経ベンチャー(2008年6月号)を読んで、思わず唸った。
同社の創業者であり現在は相談役である、梅原勝彦氏の、
中小企業家魂ともいうべき、その経営スピリットと実践に、だ。
それは、そうだ。
あの日本電産を率いる永守社長が、脱帽するほどなのだから。
同社の経常利益率は、創業以来37年間の平均で、41.5%。
粗利じゃなく、経常です、よ。
どうしてそのような高収益を続けられるのか、と聞く記者に対し、
中小企業として利益に執着しているから、と梅原氏は答える。
20数ページにわたる、その秘密を読んでいると、
それがケタ外れの執念であることが、わかる。
とはいえ。
儲かるなら何でもやる、とか、ボッタクリ、とかでは決して、ない。
人件費を切り詰めたり、人材の使い捨てなどの理不尽も、なく。
第一、そうだとすれば、
創業以来37年も、高収益を続けることはできないだろう。
そこには、確固たる梅原氏の中小企業経営哲学があり、
十分な顧客満足に支えられている証左、が読み解ける。
梅原氏の経営は、ひと言でいうなら、非常にシンプル。
コスト管理にせよ、人事管理、時間管理にせよ、殆どムダがない。
この、シンプル、即ち、簡単さは、
あらゆる中小企業の参考になりそうだが、詳細は本誌に譲りたい。
私が綴るのは別の部分である。
電通鬼十則、である。
それは。
経営のすべてがここにある、として、
オフィスの壁に貼り出してまで心酔する、梅原氏のバイブル、なのであった。
おーー、だ。
電通ならずとも、広告業界に在籍する者が最初に必ず叩き込まれるもの、
それが、この、電通鬼十則なのである。
無論、私も、当時そうであった。
が、全然、畑の違う、機械部品製造業にまで、ということは、
この鬼は、ビジネスを問わず普遍的に通用するに違いない、のだ。
ならば、というわけで、ご紹介したい。
電通中興の祖といわれる、第4代・吉田秀雄社長が1951年に作られた、
「電通鬼十則」。
1 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。
2 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3 大きな仕事と取組め! 小さな仕事は己を小さくする。
4 難しい仕事を狙え! そして成し遂げるところに進歩がある。
5 取組んだら放すな! 殺されても放すな! 目的を完遂するまでは...
6 周囲を引きずり回せ! 引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地の開きができる。
7 計画を持て! 長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8 自信を持て! 自信が無いから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらがない。
9 頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ! サービスとはそのようなものだ。
10 摩擦を怖れるな! 摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。
ぜひ皆様にご参考になれば、と願うとともに。
つねづね。
行政は公共サービス業、であり、議員は生活プロデューサー、
と、確信してやまない私は、
ひょんなことで目に飛び込んできた、この電通鬼十則に。
自身の仕事に置き換えて、
あの頃の気持ちにダブらせて、
さあ、やるぞ、やらいでか、
と思わず、激しく、心を奮い立たされたのであった。
2008年07月08日
とてつもなく便利で、とてつもなく危険な、時代に
午前、県民相談対応。午後は、今週末に開催される、
公明党四国夏季議員研修会の準備。
恐縮にも、活動報告のご指名があり、
その資料作成、といったところである。
下書きを推敲して、よし、あとは清書だ、
と、おもむろにパソコンを立ち上げる。
実に、久しぶりのパワーポイント、なのだが、
その2007年バージョンに、思いきり戸惑ってしまった。
以前、ここにあったはずのボタンが、なーい。
あれがないと、ちょっと困るんですけど、
たくさんのタブを開いて、こんなところにおったんか、
という感じで、
あー、道具というのは日進月歩だなぁ、
ブランクが長すぎると浦島IT太郎になってしまうぞ、と思う。
考えてみると。
今から20数年前、世の中

